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山頂では見事な雪景色。

愛宕神社へと続く石灯籠。

全国にある火伏せの愛宕神社の総本山。

大きな柚の実が迎えてくれた水尾の里。


春の足音は、ネコヤナギから。

猪に救われた和気清麿呂公を祀る護王神社。(上京区)

和気清麿呂公が危機にあった時。どこからともなく300頭の猪が現れてお守りしたという故事に由来するとか。

境内には狛犬ならぬ「狛猪」。

この他にも、願掛け猪の石像や、幸運を呼ぶといわれる手水の黒い猪など。

京都御所の西側、蛤御門の向かいに鎮座する護王神社の立派な干支の絵馬。














 



愛宕山と水尾の里


 京の「火の神様」として名高い愛宕神社が祀られている愛宕山へ出かけてきた。久しぶりの山歩きだ。日常からの鈍った体と根性を引き締めるため、早朝から気合いを入れて仲間と一緒に歩きはじめた。この日は、新年明けの休みとあって、多くの登山者でにぎわっていた。
 愛宕山といっても、簡単に登れると思われがちだが、標高差が八百。以上もある。特に、この時季は山頂付近が雪と霧氷に覆われることも珍しくないだけに、それなりの覚悟と装備は必要になる。そう、自然をなめたらあかん。
 渡猿橋を渡り、赤い鳥居をくぐり、表参道からの登山口から歩きはじめた。最初の石段や、急な坂ですぐに息切れとなるが、マイペースでゆっくり登っていく。そんな私たちを一丁ごとに地蔵尊が見守り、山頂の愛宕神社へと導いてくれる。だが思うように足は動かない。途中「お助け水」、三合目小屋、五合目小屋など、目に入るだけでほっとする。とにかく、歩いて、山頂の愛宕神社をめざす。空模様が怪しくなりかけ、雲のなかを歩いている感じだ。雪が降ってきた。
 ようやく黒門を経て、大鳥居が立つ愛宕神社の境内に入る。そこは白一色の雪景色。霧氷がついた木々。石灯籠の立ち並ぶ石段を踏みしめ、本殿へ。身の引き締まる寒気のなかお参りして、ストーブのあるところで暖をとる。友人からの差し入れ、おにぎりやチョコレートが最高においしかった。
 さて、帰りは柚子の産地で有名な水尾の里に下りて、柚子湯に浸り、地鶏の鍋で一杯という楽しみが待っている。そう思うと、急に元気になって歩き出した。水尾の里では、南天や柚子の木など、のどかな風景が何よりの癒しを与えてくれる。なんだか、とてもうれしくなってくるところだ。柚子風呂も、鶏の水炊きも、最高だった。帰りはJR保津峡駅まで車で送ってもらい、電車で市内へ。充実した冬の休日だった。

小正月

 1月15日は小正月。昔なら、この日が成人式で祝日だった。ま、それはさておき、15日となれば元旦から神祭りの、注連縄、門松をはずし、小豆粥をいただく。最近ではあまり見られなくなったが、火祭として「とんど」(地域によってはどんど焼き、左義長、鬼の火、三九郎焼などとも呼ばれる)で燃やす。その火にあたると、その年は病気をしないなどのいわれもある。書き初めを燃やして、さらに上達を願うというのも我が田舎ではあった。とんどの灰を持ち帰り、屋敷の角、特に鬼門となるところに置くと、厄払いになるとか。そんな記憶がよみがえる。







     

いの、いちばん。

ことし干支は“亥”。猪突猛進で野性的なイメージ。
猪といえば、かつて田舎の肉屋のまえに
朝はやくから横たわっていた。
その光景を目にしながら地元の中学に通う私には、
それが丹波のぼたん鍋になる猪の肉と繋がらず、
別のものに映っていた。
その旨味がわかるようになったのは、
猪口を口に運ぶようになってから。
あ、いけない話を戻そう。
もともと“亥”という文字は、猪または豚の骨格を
縦に描いた文字で、
骸(骨組みの意)・ 核(堅い殻や芯の意)・
刻(堅い物を刀でごつごつと彫るの意)などの意味が
あるらしい。
また、犬+者(充実する、太るの意)から
成る“猪”という漢字本来の意味は
太ったイノシシで転じてブタの意ともなったとか。
どきッ。
ことしこそはゼッタイ痩せるぞ。健康がいちばん。
いい汗、流そうっと。
そして、明るく、楽しく、
笑顔いっぱいあふれる“亥猪”年にしたい。
どうか本年も、よろしくお願い申しあげます。

  平成十九年 元旦

                橋本 繁美




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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