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ことしの初梅はいつ頃かな。

さすが『鉄人28号』

♪ビルのまちに ガオー 
 夜のハイウエーにガオー 
 ダダダダ ダーンと弾丸(たま)がくる
 ババババ バーンとはれつする
 ビューンと飛んでく鉄人28号

 手をにぎれ 正義の味方 
 たたきつぶせ 悪魔のてさき 
 敵にわたすな大事なリモコン 
 鉄人! 鉄人! どこへゆく 
 ビューンと飛んでく鉄人28号  (作詩・作曲:三木鶏郎、歌:デュークエイセス)

嗚呼、懐かしい『鉄人28号』(1963〜66年フジテレビ系で放映された原作者・横山光輝さんのアニメ)に逢ってきた。場所は神戸長田区、JR新長田駅を降りてすぐ近くの公園に高さ15メートル、重さ50トンの『鉄人28号』。昨年の秋に誕生してから一年。やっと逢えた。ここ長田区はご存知のように阪神大震災でいちばん家屋の倒壊率が高く、火災被害も集中したところ。まさに、がれきの山から復興を遂げたビルのまちに現れた巨大モニュメント『鉄人28号』は復興のシンボル。ひと目、見ただけでなんだか嬉しくなってしまうのは年齢だけのせいではない。わくわく、ドキドキ。思わず、口ずさんでしまう。そう、気分は正太郎少年?!あ、そうそう、当時は提供スポンサー名、グリコ、グリコと連呼していた記憶がよみがえる。あの時、オープニングで流れていたのは、ここに書いた2番の歌詞だそうだ。青空の下で写真を撮りながら、こんどは夕方に来ようと思った。(2010.11.27)

 

マスコミから口コミの世界へ。

「パソコン、ケータイ、アイパッド。マクル―ハンの言う『地球村』が出現するための『三種の神器』がそろったみたい」とコラムニストの天野祐吉さんは9月6日付けの朝日新聞『メディア激変・広告はいま』で語っている。さらにその記事から抜粋すると、「メディア学者マーシャル・マクル―ハン、電子メディアの広がりで、時間も空間も消え去り、世界が小さな村になると説いた。それによって、コミュニケーションが都市型から村型に変わると言う。マスコミのように送り手と受け手が分かれていない、みんながうわさ話なんかを広げていく口コミの世界。ブログやツイッタ―は、まさにそうじゃないですか」と語る。まさしく広告メディアの役割がどんどん変わり、新しいカタチのコミュニケーションが効力を持ちかけているみたいだ。時代をしっかり読まなきゃと思う、そんな記事だった。(天野祐吉さんの記事は翌日7日も掲載)


いまいちばんの人

「コピーライターは読書が好きです。言葉が好きです。文字そのものが好きです。仕事だから当然でしょ、といわれればそれまでですが、仕事である以前に、好きです。」とコピーライターの大先輩、鈴木康之さんが『文章がうまくなるコピーライターの読書術』(日経ビジネス人文庫)で語りかける。
その本のなかで、いまいちばんのコピーライターの名手に、岩崎俊一さんをあげている。私も、昔からの大ファンだ。「人は、書くことと、消すことで、書いている。」(トンボ鉛筆の消しゴム)、「年賀状は、贈り物だと思う。」(日本郵政の年賀状キャンペーン)、「街の財産、でもある。」(積水ハウスの伊豆・ステージ)、「安いものはほしくない。安くなったものがほしい。」(西武百貨店)、「あなたに会えたお礼です。」(サントリー)などなど、名作が多い。
それらの魅力がぎっしりと詰まった岩崎俊一さんの本『幸福を見つめるコピー』(東急エージェンシー発刊)は、業界以外の人にもぜひとも読んでほしい一冊。岩崎俊一さんのあたたかい言葉が幸せにしてくれますよ。ぜひぜひ。

鈴木康之さん。なんといっても、あの協和発酵の名作広告が目に浮かぶ。「コピーライターは、書き上手になるな、聞き上手になれ」と教えてくれた巨匠だけに、名作ぞろいだ。著書としては『名作コピー読本』(誠文堂新光社)、『名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方』(日経ビジネス人文庫)等。

 

礼儀作法入門

「礼儀作法とは、何だろうか。わかっているようでいて、こんなにわからないことはない。」で始まる尊敬すべき作家・山口瞳さんの『礼儀作法入門』(新潮文庫)。そのまえがきを紹介する。
「私は礼儀正しい人間ではない。むしろ無頼漢に近いと自分でもそう思う。また、礼儀作法について知るところの極めて少ない人間である。私は原稿を書くときは寝間着で書くが、玄関に来客のあるときは、そのままの姿で出て行ってしまうという男である。
ただし、私は、礼儀作法というか、生活上のキマリというか、そういうことについては大いに関心があり、興味があるといっていいと思う。たとえば、靴下は右足と左足とどちらから先にはくべきかと考えたりすることがある。
五年ぐらい前に、高橋義孝先生から、二時間余にわたって、エチケットについての話をうかがうという機会があった。また、私は、先生の家に三十年間にわたって出入りしている者であるが、先生の日常茶飯についての考え方を多くの人に知ってもらいたいと考えてきた。だから、この書物には、やたら先生の名前が出てくることになる。
さらに、私は、礼儀作法、マナー、エチケットなどに関する内外の書物を読んだ。その多くは無味乾燥であって、得るところが少なかった。それがいけないというのではなくて、私がこの書こうとしたこととは、種類と内容が違うのである。いままで多くの礼儀作法の書物が教科書であるとすれば、私の書いたのは副読本である。あるいは参考読物である。もっと言えば、礼儀正しくしようとして悪戦苦闘する男の苦心談と失敗談である。繰りかえすが、私一箇は礼節の人ではない。したがって気楽に読んでいいただきたい。(略)」
個人的には、山口瞳さんの書物やサントリーの広告等による教えは私のなかに生きている。なぜ、ここで改めて礼儀作法かといえば、昨年の秋に、私ども社団法人京都国際工芸センターが立ち上げた『わざ検定』と『にっぽん検定』にずばりあてはまるところがあるので、少し長いが引用させてもらった。特に、『にっぽん検定』はビジネス社会における基本的なマナーの習得をめざしている。人間関係が気持ちよくなる、そんな社会であってほしいと願うのは私だけではないと思う。


傘の盗難のはなし

JRの忘れものの一位といえば傘らしい。降りる時、雨が止んでいたら大事な傘を忘れてしまう人も多いのかもしれない。特に梅雨の時期は気まぐれな空模様だけに、気をつけたいところだ。だが、忘れなくても自分の傘が姿を消すことがある。お店の入口の傘置きに入れたものの、返りに自分の傘が見つからない。どうみたって、間違うはずない傘がぽつんと残されている。そんな馬鹿なと心に雨を降らせながら帰途についた。ある人にいわすと「傘は天下の回りもの」という。人の傘を勝手に無断で盗んで許されるはずがない。自分さえよければいいのか。個人の傘は共有物ではない。たかが傘という軽い気持ちかもしれないが、立派な窃盗罪である。情けない話だ。
梅雨の季節ですね。みなさんはどんな傘がお気に入り?最近やたらとビニール傘の需要が増えたと思いませんか。いざという時、コンビニですぐ買える手軽さはあるものの、それがメインじゃ、ちょっと寂しい感じ雨が降れば、雨を楽しむ。そのためにもお気に入りの雨具を使いたいですよね。余計なお世話か、これまた水をさしましたかな(笑)

御室流華道・中嶋皐月さん

新緑まぶしく、五月晴れの心地よい5月17日(日)・18日(月)、御室流華道総司庁主催の『御室流華道第93回流祖奉献全国挿花大会』が総本山仁和寺でおこなわれました。紫光会からは、杉本光月先生、坂本美智月先生、中嶋皐月先生、菅谷久美月先生の4名が出品。いずれの作品も素晴らしいものばかり。目も心も洗われたしだい。
http://satsuki-n.com/


伊根の船屋。

風情豊かに心にも潮が満ちてゆく。日本三景のひとつ天橋立。ここからなおクルマで40分ばかり、丹後半島の突端に伊根町はある。日本海とは思えないほどの穏やかな海を抱く伊根湾には、ここ特有の船屋が並ぶ。住居と舟倉が一体になった船屋。道路側の玄関をみると普通の住居に見えるのだが、一歩中に入ると、そこは舟倉。開け放たれた裏口にはもう足下まで波が寄せている。二階に上がると、そこがいわゆる住居部分になっている。しかし、本来の住居ではない。船屋と通りをはさんだ山側にあるのがほとんどである。このあたりの一帯は、かなり古くから丹後半島の漁業の中心として知られていた。湾口に椎の木の原生林からなる青島をもつ波静かな伊根湾では、江戸時代中頃までは鰤や鮪からなんと鯨までが盛んに捕られていたといわれる。なかでも、ここで捕れる鰤は丹後鰤と呼ばれ、その味のよさは広く知られ、貝原益軒が「丹後与謝海図誌」に取り上げたほどである。久しぶりに訪れたら、なんと海から船屋を見ることができるようになっていた。これまた感動だ。

大原神社(おおばらじんじゃ)

京都府福知山市三和町大原。京都府の西端、福知山市街より約20キロメートル、綾部市街より約10キロメートルの地に位置し、由良川に合流する土師(はぜ)川が流れる、のどかな山あいの町。まさに山紫水明の聖地、そこに1157年の歴史をもつ大原神社がある。ご祭神は、国産みの神・イザナミノミコト(伊邪那美命)を主神に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つきよみのみこと)。荘厳な雰囲気の境内には、社殿、火神神社、水門神社、絵馬殿などが鎮座し、古くから安産や五穀豊穣の神として、また最近では交通安全の神として知られ、多くの参拝者で賑わう。ここを参拝することをオバラザシ(大原志)といい、近松門左衛門の浄瑠璃「源三位頼政」にも登場する。社伝によると仁寿2年(852)3月23日に三和町大原の地に創建されたと伝えられ、丹波誌によると創建は元社である美山町樫原の大原神社のことであり、弘安2年(1279)9月28日に三和町大原に移されたとある。

大原の産屋(おおばらのうぶや)

前に神々しい大原神社の杜を眺め、人家より川をへだてた閑静な地に、敷地わずか約3坪の地に、茅葺(かやぶき)、切妻屋根(きりづまやね)をそのまま地面に伏せたような天地根元造(あまちこんげんづくり)という、古い建築形式で造られた産屋(うぶや)がある。屋根の合わさる「妻」の方向から出入りし、古くは古事記や日本書紀にも著されている。ここ大原では、出産の折、12杷(わ)の藁を持ち込み、出入り口には魔除けとして古鎌(ふるがま)を吊り、7日間こもって出産していた。この習慣は大正年間まで続き、また産後3日3夜こもる習慣は昭和23年頃まで続いたといわれる。


文覚堂(もんがくどう)

▼JR山陰線八木駅から大堰川に架かる大堰橋を渡って北へ約四キロ▼八木町(現・南丹市)室橋(むろはし)に800年の歴史を誇る如城寺(にょじょうじ)がある。その西の文覚池は鎌倉前期、高雄の神護寺中興の真言宗の僧、文覚上人が水不足に難儀していた農民のために開削した▼文覚堂」は室橋の小川の上に。上人が用水の流れを見た所であり、上人の恩を忘れないようにと建てられた▼昨今、圃場整備工事中で解体されている---。絵と文・岩田重義さん月刊京都「京を描く」2008年9月号より

 


牛がいた。

私が生まれ育った田舎、八木(南丹市・旧船井郡)の家には、家族とともに牛がいた。農耕用のために飼われていた牛で、親父は人一倍の愛情をそそいでいた。天気の良い日には庭に牛は繋がれていた。いまでは機械化がすすみ、そんな光景はすっかり消えてしまったが、あの時の大きくて、やさしいまなざしは今でも記憶に残っている。そうそう牛といえば、菅原道真公を祀る学問の神様で名高い天神さん(北野天満宮)がある。母親が女学校時代によく来ていたところらしい。正月を過ぎれば、白梅や紅梅がちらほらと咲き始める。家族の幸せを願って、境内に横たわる牛を撫でる。我が家の近くには吉祥院天満宮がある。これも何かのご縁だ。こちらも、もっともっと名でるよう頑張りたい。どうか本年もよろしくお願い申しあげます。

 

新春のお慶びを申しあげます。

旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。何かと厳しい世の中となり、暗いニュースばかりですが、 時代のせいにしていても仕方ありません。こんなときこそ、原点に戻って、ひとの心、感謝の心を どこに見い出すかが問われているように思います。 もの、こと、かたち、熱きハートのコミュニケーション。ことしも英知&愛をさらにパワーアップして、より一層お役に立てるよう全力を傾ける覚悟でございます。 何卒、ご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申しあげます。
      丑歳 元旦
                         有限会社橋本広告事務所 橋本 繁美










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