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木々の葉が赤、紅、緋色と鮮やかに色づく

秋色に染まるみごとな紅葉

いよいよ手筒花火を持ち上げる緊張の一瞬  撮影:中川忠明氏

これぞ手筒花火のど迫力(20才煙火)  撮影:中川忠明氏

力強く天に舞い踊る花火

花火の大きな音で祭を活気づける男たち

竹島八百富神社の秋祭りは
18・19日の2日間にわたって繰り広げられる



珊瑚に元気がないように感じた奄美の海中


水深30メートルくらいになると海底も暗い

三条大橋下ル鴨川河川敷で立ち回る笑撃武芸団

笑撃武芸団(左から 宙 郁之助、白鳥 おまる、竹雪 ぴかそ )

一輪、一輪の清楚な美しさ。

ことしも亀岡に向日葵畑、出現。

入場料300円で向日葵を満喫。

八木屋賀の向日葵。

日本美術の名作もいっぱい、絵はがきミュージアムの世界。

1000種類の絵はがきが並ぶ「京都便利堂」の店内


FMラジオカフェ79.4 「おこしやすサン9」のステッカー


ことしも藤森神社の紫陽花まつり。


梅雨入りをよろこぶ紫陽花


新風館から公開生放送された
NHKテレビ「ニュース630/京いちにち」


CD「京野菜のうた」再び脚光を浴びるか?!

幸せを呼ぶ?四つ葉のクローバー


新緑のもみじと苔

仁和寺の庭


上:吉祥院天満宮の本殿を描いた絵(南久美子さん作)
下:吉祥院天満宮の本殿の写 真(絵はがきより)


白梅 (吉祥院天満宮の境内)

幸多き一年になりますよう、心よりお祈り申しあげます。
え〜と(干支)、ことしは未歳。
世の中うめぇ〜こといくことを願ってます。迷わないヒツジより。

ジルヴェスター・コンサート
ことしも終わりだ。いろんなことがあった一年だった。特に、十月のショックは大きかった。信号待ちをしていた私の車にクレーン車が撃突。ムチ打ちになるわ、愛車は消えるはで最悪状態。ようやく病院通 いも終わり?に近づき、来年から頑張るつもり。嫌なことははやく忘れよう。で、大晦日の夜となれば、毎年恒例のびわ湖ホールでジルヴェスター・コンサート。松尾葉子さんの指揮でスペイン一色の曲が流れ、素敵な時間が流れた。ゆく年、来るスパニッシュでカウントダウン。新しい年も始まりです。オメデトウ。

逢いに、北。
ちょっと前になるが久しぶりに北海道へ飛んだ。みごとに木々の葉が色づいて、秋かな紅葉はもちろん、なだらかな丘の風景、嶺々が連なる山岳、まっる町、活気溢れる漁業市場など、ここでは歩くことが楽しくなってくる。疲れた後は、ゆったり温泉三昧。さらに北海道ならではの味覚を堪能すれば、心も身体も元気にリフレッシュ。途中で眺めた羊蹄山は、山頂付近がはやくも雪化粧をさかりだった。厳しい冬が近づく前の、束の間の美しい季節を思う存分、満喫することができた。まずは北大の銀杏並木から始まり、小樽、函館へと足を伸ばした旅だった。目に映る鮮や広大な海、すべてが豊かな自然。さらに歴史と浪漫が薫していた。もうすぐ冬、こんどはスキーを楽しみに来たいな。

凄い迫力!勇壮な煙火祭
夕方5時、新井町を出発。組名「あらい」の祭びとたちは、5才という手筒花火を上げながら会場となる竹島橋に向かった。大きな手筒花火(20才・縄で巻きあげた長さ73cmの竹筒に火薬が仕込まれたもの)・煙火を奉納するためだ。6時とともに、神事らしく手によって神聖な火種から合図とともに着火されていく。10才、乱玉 、5才、手筒花火が次々と夜空を焦がしはじめた。まっすぐ天に向かって弾ける力強い火花。凄い。なかでも20才の手筒花火で20、30メートルほど上がっているのだろうか。花火は最後に、ドスンと響く音とともに火薬が地下を大きく蹴って煙火は終わる。みごとな火の粉と音の競演。天に舞い踊った火の粉が打ち上げた祭びとに降りそそぐ。思わず息をのむ迫力だ。熱く燃えるのは男衆だけではない。初参加で20才の手筒花火を上げるという威勢のいい女性がいた。キレイだった、堂々としたポーズが。カッコよかった、まっさらの祭り衣裳が。観衆からの熱い視線と喝采を浴びていた。先日に執り行なわれた竹島八百富神社(愛知県蒲郡市竹島町)の例祭・奉納煙火祭より。

JAGDA ONEDAY SCHOOL 2003
探せ、咲かせ、じぶんの夢。
◎とき/2003年10月18日(土)12:00〜
◎ところ
京都嵯峨芸術大学
◎テーマ
五感に響くデザイン。
プロに必要なもの。 グラフィックの世界で活躍するクリエイターたちが、 デザインの楽しさと厳しさを語り、 これからのデザイナーに求められる条件とは何かを探る。 彼らの発想法やノウハウが盗め、 将来、プロとして活躍したい方に 必聴のデザインセミナーです。

◎基調講演

闘うAD、仲條正義の挑戦は終わらない。
特別講師 仲條正義(アートディレクター)
◎デザインセミナー
プロとして求められるもの。
デザインの現場や実践で必要とされる条件などプロの道をめざすデザイナーの卵たちに贈るデザインセミナー。 パネラーとして 仲條正義、大迫修三(リクルート・クリエーションギャラリーG8ディレクター) 鯛天成雄(京都嵯峨芸術大学観光デザイン学科教授) 大西治雄(京都嵯峨芸術大学グラフィックデザインコース講師、奈良デザイン協会会長、元・大阪電通 CRディレクター) 大野好之(JAGDA会員) 中井康史(JAGDA会員) 奈良磐雄(京都造形芸術大学情報デザイン学科教授)
◎ギャラリー/「JAGDA2003新人賞展」
毎年、『JAGDA年鑑』出品者の中から、39歳以下の新鮮かつ作品の質の高いデザイナーに「JAGDA新人賞」を授与しています。21回目となる2003年度は、新人賞対象者126名の中から柿木原政広・林 規章・水野学の3名が選ばれました。新世紀のデザイン界を担う3名の作品にご注目ください。

秋の夕暮れ。
澄みきった秋空に赤とんぼが飛び交う。ひっそりと咲く秋桜が傾く夕陽に花びらを透かし、野辺を彩 る。ほんのりと茜色に染まった西の空にくっきりと影絵のように浮かび上がり、やがて夕闇に溶け込んでしまうその繊細な花々には、人の心を優しく包み込む、不思議な力が潜んでいるように思えてならない。秋桜は一年草で原産地はメキシコだそうだ。日本へ渡来して日は浅いが、桜に似た清楚な花だけに、その明るさと愛くるしさで人の心をとらえ「秋桜」という和名を与えられ親しみを持って迎え入れられた。現在では品種が改良されて、一重咲きに八重咲き、そして絞り咲きのものが加わり、色は紅や白、淡紅や黄、えんじ、橙色などさまざまな花の姿を楽しむことができる。女性好みのやさしげな花でありながら、台風になぎ倒されても、また立ち上がって咲く強健な秋桜。爽快な青空を背に、風にそよぐ秋桜の群生。秋だな。

八木明さんの新作展開催中
現代陶芸の有力作家八木明さんが16日まで高島屋京都店6階美術画廊(四条河原町)で新作個展を開催中。三角柱にひねりを加えた青白磁の蓋物や径を少しずつ変えた100枚組の鉄皿砂などの新作を発表している。ひねった三角柱ば鋭いエッジが印象的。磁土を削って成形するのに苦心したという。100枚の皿は焼く前の直径が5−15センチで、1ミリ刻みでサイズを変えた。展開した際の空間性に加え、遊び心も込めたといい、過去に発表した入れ子の器にも共通 する面白さがある。「ただし重ねると1メートルを超えますが」。今年はドイツ・ハンブルグでの展覧会にも出品、活躍の場はさらに広がっている。(京都新聞09.13)
私たちの仲間、八木明さんの作品を見に行った。凄い。さすが。きれいな造形。遊びごころがあって、眺めているだけで、楽しくなってくる。しかしそこには、鋭いエッジや繊細な部分が高い完成度をあらわしていた。「単体も集合させることで静から動へとなる」そのひと言が印象的だった。独楽の焼き物を回そうとしたが、なかなかうまく回らなくて困った表情も先生らしく素敵でした。この連休はぜひ個展へ。

清浄さと透明感。
楽器の祖先は、いずれも人体にその起源があるという。手を打ち、足を踏み鳴らすことから打楽器が生まれ、口笛を吹き、両手を丸めて口にあて遠くに向かって叫ぶ習慣が、笛やラッパを思いつかせたといわれている。声を出す代わりに弦を弾いた弦楽器など、楽器は今も、ある人々にとっては肉体の一部であり、その延長である。直接に口をあて、指でさわり、抱きかかえるるものだけに、楽器はみだりに他人にさわらせたり、使わさせたりするものでないらしい。なぜ、いきなり、こんな話をするかといえば、先日、大阪で、世界中の民族楽器の素朴な音にひかれたという音楽家・岡野弘幹さんにお会いすることができたからだ。彼のことを知らなくても、 TVCMや自然環境のドキュメント番組等の楽曲を聴けば、一気に身近な存在になると思う。最近では、日産のエコカーのCM(日産のクルマがターンテーブルで次々と顔を見せるCM)にソロアルバム「Herling There」が起用され、好評を得ている。1000個以上のオリジナル風鈴を用いて限りなく自然に近い音空間を作り出すサウンドインスタレーションを国内外を問わず展開してきたことでも知られる。そんな岡野さんの自然との対話や、ある民族での神聖な叫びに、さまざまな楽器が使われている話を聞いた。珍しい世界の民族楽器を実際に演奏し、体験談を語ってくれた。かつて音楽プロデューサーとして、ヨーロッパに日本のグループを連れていった時、演奏は実に素晴らしいが、日本人なら日本のアイデンティティが欲しいといわれ、ショックを浴びたという。日本人としてのアイデンティティとは何かを求め、邦楽器のルーツを探していけば、いろんな民族楽器に出会うことになったという。器用なだけじゃ響かない。人が創りだす音楽にも、日本人としてのDNAが大きく影響しているから、大きな感動が生まれるのかも知れない。そう感じた。

珊瑚礁が危ない。
この夏も奄美大島へ行ってきた。天気にも恵まれ、これぞダイビング日和といった感じだった。だが、残念なことに期待していたきれいな珊瑚礁 は異常繁殖のオニヒトデで全滅状態になりかけていた。ショックだった。一昨年頃からオニヒトデが大量 発生を続けていると新聞等で知っていたがここまでひどいとは思わなかった。50cmにもなるオニヒトデは、夜行性で、本来なら昼間は珊瑚の下に隠れているそうだ。だが、いまは昼間から珊瑚の上に群がるほど繁殖して、24時間珊瑚を食い荒らしているという。目に映る海底のいたるところで、白骨化した珊瑚の死骸が無残な姿を晒している。悪魔のようなオニヒトデを退治する方法はないものか。昨年、潜ったスポットも珊瑚は死んでいた。この異常発生の原因として、海岸工事による赤土の流出や生活排水による水質汚蜀があげられている。人間の活動によって、美しい自然環境がまたひとつ消え去ろうしている。珊瑚の楽園が消える、あまりにも寂しい話だ。

大道芸の凄さ。
笑撃武芸団による「阿国歌舞伎」、新聞報道や口コミ?の関係で多くの見物客で賑わいました。もちろん三条大橋下ル鴨川の河川敷という場所柄もあって、たくさんの方に見てもらうことができた思う。その後、京都アートカウンシルや地元の皆さんが頑張っていられる「高瀬川灯ろう流し」の会場でも披露し、盆踊りの間にみごとな大道芸で会場を湧かせた。彼等は来月、二条城築400年祭にも出演が決まっている。今回見逃された方は、9月の日曜日(出演日)お出かけください。

阿国歌舞伎を披露。8月20日夕方6時〜
日光江戸村や伊勢戦国時代村などで、芝居やアクションを演じてきた俳優の三人組(笑撃武芸団)が、歌舞伎の創設者・阿国の素顔に迫ろうと、三条大橋下ル鴨川河川敷で「阿国歌舞伎」を披露する。今回は、芸能の原点に立ち返り、格式張らない阿国の姿を大道芸で表現する。阿国の口上から、面 踊り、衣舞、殺人や立ち回りなどを繰り広げる。その後、毎年夏の恒例行事となった元立誠小学校でおこなわれる「高瀬川灯ろう」(京都アートカウンシル)にも参加する。大道芸の楽しさが肌で感じられますよ。20日午後6時〜お時間のある方は、ぜひぜひ。詳しくは、本日(8/16)の京都新聞に掲載された記事をご覧ください。
■笑撃武芸団 http://www10.ocn.ne.jp/〜cmc

凛とした美しさ。
清楚な朝顔に胸を踊らせる 夏の朝。まさしく花は美しさで人を虜にする利口な生き物だ。そのシンプルな形と日本的な色彩 が多くの人の心をとらえる。なんといっても、庶民的な色合いをもつところがいい。ちなみに朝顔はジャパン・モーニング・グロリーという呼び名でその存在は、世界的に知られている。

やっと夏本番!
8月に入り、ようやく本格的な夏の到来だ。先月末(26日)に梅雨がかなり遅れて明け、冷夏だった天候も、ここにきて大平洋高気圧にほぼ覆われ、強い日射しが照りつけ始めた。2日の京都市で34.3度とこの夏の最高気温を記録したと報道されている。まぶしい太陽、澄みきった夏空、入道雲(積乱雲)、蝉の声、う〜ん、やはり夏はこうでなくちゃ!それにしても、口から出るのは「暑いなぁ〜」ばかり。みなさん、いい汗、流して夏を楽しみましょう。

絵はがき、百花繚乱。

京都・便利堂、7月12日オープン!

日本美術を中心とした美術館、博物館、社寺所蔵美術品による名品・名作の絵はがき1000種類を常時展示、販売するお店「京都便利堂」が7月12日にオープンする。店内に入れば、壁面 いっぱいに絵はがきミュージアムの世界。 美術分野一筋に110余年、美のトータル的なプロデュースをめざす美術印刷会社「便利堂」が、日本の美術をより身近に、気軽に楽しんでもらおうと企画し、まもなく実現する。場所は、京のど真ん中、中京区御幸通 六角下ル東側。日本美術を中心とした美術館、博物館、社寺所蔵美術品による名品・名作の絵はがきが、店内一堂にずらり。東京国立博物館 ・京都国立博物館 ・京都文化博物館 ・京都国立近代美術館 ・千葉市美術館 ・岡山県立美術館 ・福岡アジア美術館 ・笹岡市立竹喬美術館などの所蔵品をもとに、同社が手掛けた絵はがきばかり。眺めているだけで、美術の匂いと、アートの香りが漂う、そんな素敵なお店だ。まさしく、お気に入りの絵はがきに出会えるところ。ここはハッとする(驚きと発見)、ホッとする(安堵)、ニコッとする(歓び・感動)、そんな絵はがきミュージアム「京都便利堂」は、京の新しい名所になるに違いない。ぜひとも、お立ち寄りを。

七月七日は、綾傘鉾稚児社参。
夕方五時から生出演!
明日、八坂神社で綾傘鉾稚児の結納の儀と、稚児として宮司から宣状を受ける儀式がおこなわれます。可愛い衣裳と化粧の稚児たちは、当日の午後5時からKBS京都テレビ(34ch)に生出演します。ニュース番組「Live5」(5時〜ON AIR)ぜひ、見てくださいな。

おこしやすサン9 放送記念LIVE
こんどの日曜(6月15日)午後3時半から三条通 高倉東入ルの京都三条ビルB1「龍long」でスタッフ紹介をかねて、阿武野逢世のライブをおこないます。入場無料、但し定員制限あり。

京野菜のうた、
NHKテレビから再びブレーク?

来週、月曜日(6/9)夕方6時、NHKテレビ「ニュース630/京いちにち」で、あのCD「京野菜のうた」が流れます(6時30分頃)。しかも、阿武野逢世(パーカーション)と奥野光(ボーカル)、そして橋本繁美も出演します。烏丸三条の新風館から生放送、ぜひ、ぜひ、お見逃しなく。当日のテーマは京野菜です。

クロ−バーは、青春時代の郷愁。
クローバーの語源は、「けもののひづめの割れた形の葉」を意味する古代英語(クレーフレ)だといわれている。和名ではツメクサといい、詰め草の意味らしい。西洋では、三つの葉は、キリスト教の三位 一体(父なる神、子なる神、精霊)を表わし、魔除けになると信じられている。ところで、いつごろから四つ葉が幸福をもたらすクローバーになったのだろう。滅多に、なかなか出会わないからか。知っている人がいれば、お教えてくだされ。

FMラジオ新番組 おこしやすサン9 。
4月1日、京都に新しくFMが開局(ラジオカフェ79.4)した。実は、2月頃から友人と一緒に番組を創ろうという話が出て、その場で、どうせやるのなら経験豊富なクリエイターとして、しっかりとした番組をと即、決めた。毎週日曜日の朝9時にオンエアする30分番組。ターゲットは京都に来る観光客。これぞ、京都人が発信する、ほんとうの京都情報とし、聴けばトクする、出かけてみたい、そんな魅力ある情報を満載。FMといえども、音楽よりトーク(京の人、京野菜、京ことば、見どころ、食べどころなど)をメインに構成。 京都人ならではの新鮮な内容をぎっしり、楽しく紹介する番組をめざしている。もちろん、地元の幅広い層が聴いても、喜ばれ、元気が出てきそうなものとしている。 そう、今までのメディアでは入手できなかった京都の魅力 「ほんとうの京都」「いまの京都」「おとなの京都」等がここに、そんな魅力あるを届けたいと考えている。ぜひ、一度、日曜日の朝9時から聴いていただきたい。そして、ご意見やご感想等をお聞かせいただければ、発信側としてはうれしい。ちなみに、スタッフは阿武野 逢世(音師・音楽家)、MACHA(DJ)、本條宏枝(DJ)がメイン。

桜満開、春うらら。
ことしも山桜から始まり、桜の季節を迎え、本格的な春の訪れ。桜ほど日本人に愛されている花はないのではないか。京都の桜の名所といえば、円山公園や平安神宮の枝垂桜、哲学の道として名高い疎水べりに咲く染井吉野(桜)、鴨川沿いの桜もみごと。山並みを染め上げる嵐山や嵯峨野の桜も風情があっていい。ほかにも、桜の見どころはいっぱい。静かな川沿いや公園の桜並木をそぞろ歩くだけで、春が満喫できる。夜ともなれば、ライトアップされた夜桜に感動を覚えたり、 身も心もちょっぴり引き締まる春の宵というのもいい。ほんま、京の町ほど、桜の名所が多いところはないと思う。できることなら、このまま散らずに咲いていて欲しいと誰もが願うのだが、意地悪な春雨とともに散ってしまう。花の命は短くてだからこそ、またその美しさにひかれるのだろうか。

お帰りなさい、アンクル・トリス。
22年ぶりの復活、うれしいなぁ。

今朝の日経新聞に、サントリーのCMにあの懐かしい「アンクル・トリス」が22年ぶりに復活するという記事を発見して 飛び上がって喜んだ。柳原良平さんが描いていた大好きなテレビCMのキャラクターだ。私が幼少の頃、まだテレビが珍しかった時代、西部劇映画『ローハイド』(同年代の方なら懐かしい?)のなかで流されていたテレビCM。そこに登場していたキャラクターだ。いくら職業柄とはいえ、当時の私はCMには興味を抱いていなかったが、あのキャラクターが登場すると、そうトイレタイムをも忘れて見入っていたのを思い出す。しかし、単にマンガ好きとか、アニメ好きなんだという一言で片付けて欲しくない。私の尊敬する、大好きな作家・山口瞳さんは後の入社となった寿屋(現在のサントリー)の宣伝部に、開高健さん、酒井睦堆さん、柳原良平さんがいたことをこの世界に入って知った私だが、なぜか昔から「アンクル・トリス」に愛着を、親近感を抱いていた。サントリーといえば、昔から広告上手な企業。それだけに、かつての広告を調べれば調べるほど、そのパワーというか表現の旨さ、クリエーティブの凄さにおどかされるのはアドマンだけではない。そんな影響を強く受けていることもあって、毎年、学生たちを連れて大山崎にある山崎蒸溜所を見学させてもらっている。そこにはなんと、かつての名作といわれるポスターやテレビCMなど、成功をおさめた宣伝や販促の宝物にふれることができるのである。もちろん一世を風靡した「アンクル・トリス」にも出会えるのが最高にうれしい。そこで、私の曖昧な記憶や、頼りない知識より、天野祐吉さんの本「時代を広告する、世界を広告するサントリー」(日本実業出版社・昭和52年発刊)のなかで、「アンクル・トリスの誕生」について詳しく書かれているので、引用させてもらって紹介したい。読めば、CMキャラクター「アンクル・トリス」がさらに好きになること間違いなし。いやぁ、何度、読んでも映像が眼に映るようですわ。

アンクル・トリスの誕生。

 1958 年初夏、茅場町にある木造2階建のオンポロ事務所の一隅で、30前後の男が3人、熱心に何かを話し合っていた。 「まず、そのキャラクターやが、タルタラン・ド・タラスコンちゅうのは、どないや!」と、一人の男が、床板をゆるがすような蛮声でいう。「“エッフエル塔の潜水夫”ちゅう小説のなかの、アントワーヌ・モンパパてなのもいまっせ」 一見気弱そうな男が、それにこたえる。「オッ、君、あれ、読んどったんか。フランスのユーモア小説家、カミ原作、吉村正一郎の名訳、白水社刊や。なんせフランス人のくせに“台秤にかかると135キロきっちりありまんのや”と大阪弁で歎き悲しみよるねんからなア。あのペーソスもおもろい」と、蛮声氏は樽覧強記ぶりを披瀝しっつ、なおもしゃべりまくる。「で、年齢はどのくらいや。職業はなにしとんねん。性格もだいたいのこと決めとこやないか」と、もう1人は、もっばらまとめ役である。彼は二人のやりとりを眼鏡越しに開きながら、せっせと鉛筆を動かしてスケッチを描き、ときおり2人の間に口をはさむ。『三酔人経給問答』に擬していえば、この男はさしづめ、豪傑君と洋学紳士にはさまれた南海先生の役どころであるらしい。もっとも、こちらの三酔人間答のほうは、紛30分で片がつく.それからさらに20分後には“南海先生”の机の上で、1人の人物が誕生した.ハゲ頭で鼻は三角にとがり、首はまるでないように太く、2つの目玉 が意地悪そうにくっついて、日の下にはシワが2本、からだは二等身半で胴も太く、脚がとびきり短いという、国籍不明の中年男である。「ま、こんなとこやろ」その夜、仕事を終えた三酔人は、新しい生命の能生を祝し、心ゆくまで酒を汲み交わしたーーかどうか、そこまでは知らない。
アンクル・トリス誕生のいきさつを、当事者の覚え書きに沿って再現してみると、およそこんなぐあいになる。ちなみに場所は、サントリー東京支店にある小さな応接室。顔つき合わせた“三酔人”は、宣伝部員の開高健、酒井睦堆、柳原良平であった。それまでにも柳原氏は、同じようなタッチのサラリーマンの絵を、たびたびトリスの新聞広告に描いている。が、今度はいささか事情が違う。点景ではすまされない。この年、100万台を突破したテレビへの積極的対応を、サントリーは迫られている。点景としてのサラリーマンではなく、典型としてのサラリーマンが、テレビ・コマーシャルの主人公として必要であった。その結果 が“三酔人”のアイデア問答となり、「小心だが思い切ったところもあり、義理人情にもろいが合理主義的な一面 を持ち、女嫌いなところとエッチなところをミックスした」アンクル・トリスの誕生となったのである。
1958年の夏、サントリー提供の『あしたのお天気』で、アンクルはさっそくデビューしたしょんぼりとマチを行く会社帰りのアンクルが、トリスバーに立ち寄ってハイポールを飲むうちに、顔に赤味がせり上がり、活力を回復してバトを出ていくという、パントマイムの60秒CMである。タルタランやモンパパというには、ここでのアンクルは、ソフィステイケートされすぎていて、いささか毒がない。が、ストレートな告知型が多かった当時のテレビ・コマーシャルのなかで、このCMの洒脱さは、なんといっても新鮮な印象を人びとに与えた。「サンサンサントリーの天気予報…」という三木トリロー作詞作曲のテーマソングとともに、アンクル・トリスのこのデビュー作をおぽえているという人が、私の周辺にも何人かいる。
だが、多くの人びとがアンクル・トリスの活躍ぶりに接したのは、1959年以降のことではなかったろうか。この年、ミッチー・ブームにあおられて、テレビの普及台数は200万台を越え、テレビは街頭や喫茶店で見るものから、茶の間で見るものに変わっていく。そのテレビにサントリーは、この年の11月から、1時間ものの西部劇映画『ローハイド』(毎週土曜)を、アンクル・トリスのCMともども、送りこんだのである。それまでにもサントリーは、民放ラジオの開局とともに、クラシック音楽番組『百万人の音楽』を送り出し、1955年からは『トリス・ジャズゲーム』を提供するといったように、“洋楽の寿屋”イメージをつくり出すことにカを注いでいた。が、一方のテレビのほうは、『パパは何でも知っている』を提供していたとはいえ、それほど確かな戦略路線が敷かれているとはいえなかった。それが59年の『ローハイド』と、翌年からはじまる『サンセット77』によって、にわかに“洋画の寿屋”という色彩 を鮮明にする。とくにこの2本の映画では、ウイスキーは欠かせぬ小道具である。“洋酒的人間関係”を推進するサントリーにとって、それはまさに、うってつけの提供番組であった。出来もよかった。とりわけ『ローハイド』は、牛の大群を運ぶカウボーイたちの物語だが、〃民主的リーダJのフエーバーと、クリント・イーストウッドのサブ・リーダー、それに料理係のウィッシユボンという3人の取り合わせが面 白く、ヒロイックな西部劇とはひと味ちがう、出色のテレビ映画ではなかったかという気がする♪ローレン、ローレン…と歌うフランキー・レーンの主題歌も人気を呼んで、この番組は61年から62年にかけ、なんと30%前後の視聴率を維持する大ヒット番組のひとつとなった。
アンクル・トリスもまた、それだけ多くの人びとの前に、二等身半の姿をさらすことになる。 『ローハイド』や『サンセット符』のようなヒット番組を得たアンクル・トリスは、以後、水を得たウイスキーのように、あるときはイジワル爺さん見のサラリーマンになり、あるときは西部の伊達男になり、またあるときは下町の職人に扮して、変幻自在の活躍をはじめた。

  職業、地位、家柄、一切を問わず。
  先生、おっさん、旦那、ボンボン、外人
  大学生、大臣、大将、社長、平社員
  組長、村長、係長、市長
  おれ、ぼく、きみ、お前、
  あんた一切関係なし、
  男女の性別、これまたなしの民主主義。
  一杯やると握手したくなり、
  二杯やると走りたくなるウイスキーだ。
  大人なら飲む、トリスウイスキー!
このCMでのアンクルは、やってきた民主主義の賛美者である。大臣や大将が主役ではなく、いまや“タダの人”が主役なのだとでもいいたげに、彼は1杯飲んで人びとと握手をし、2杯飲んで真っ先に走り出す。うまいから走るのではない、うれしいから走るのだ。人びともまた、そんな彼につられて、一緒に走りはじめる。かといって、彼は民衆のリーダーでも煽動者でもない。彼もまた私たちと同じ“タダの人”であり、私たちの日常世界の隣人である。が、この隣人は“タダの人”ではあっても“タダ者”で はない。私たちの何倍も旺盛な野次馬精神と遊びの精神を持った、いいかえれば、それだけ“タダの人”のよさを十分に持った、愉快な隣人である。つまりは、本来の意味でのタレントであった。そんな彼のタレント性が、最もみごとに発揮されたもののに、当時私たちをあっといわせた〃浪曲コマーシャル〃があった。商品はトリスではなくへルメス・ジン。それなのに、なぜかタレントはアンクル・トリスであり、しかも彼はナニワブシの名調子をバックに、カウボーイのいでたちでさっそうとバーに乗りこむのである。(略)

長い引用でどうも、どうも、お疲れさま。でも、いいでしょ。
アンクル・トリス。(2003.03.26)

戦争反対。
嗚呼、なんと悲しいことだ。遂に、戦争が始まってしまった。アメリカの最後の通 告、そして武力行使、なんか、とても古くさい戦争のように思えてならない。いくら最新兵器か知らないが、イラク国民が死ぬ 、ケガをする。多くの人々が恐怖に怯えながら今、戦争に巻き込まれているなんて、あまりにも惨い。残酷な話だ。武力なんて野蛮な行為だ。そんなもので、アメリカが唱える自由など訪れる訳がない。戦えば兵士は死ぬ 。一般人も巻き添えを被る。戦争に関係ない人々まで、大切な命が奪われる。ミサイルの大きさや数、攻略場所や状況などの報道より、はやく平和の訪れが欲しい。こんな歴史は繰り返さないで欲しい。一日でもはやい終結を願う。「正しい戦争なんてない。賛成する人も、無関心な人も、同罪」宇多田ヒカル(ミュージシャン)のメッセージより。(03.20)

京都シティハーフマラソン。
今朝は、6時過ぎの目覚ましで起こされた。第10回京都シティハーフマラソンの会場に行くためだ。といっても、私はランナ−ではない。自主整理班としてのボランティアでことしで5年目になる。朝からなごり雪がちらついて、あいにくの天候だったが、午前9時に平安神宮をスタートした走者たちは、20分過ぎにはもう第2関門(7.6km加茂街道紫明あたり)に姿を見せた。さすがトップランナ−ははやい。カッコいい。その後、選手がどんどん現われる。時間が経つにつれ、その数は増え、9時35分となる頃からピークを迎える。それは残酷な制限時間のはじまりで、選手たちは北大路橋の手前で河川敷におりて走ることになる。係員たちはロープを張って誘導するのだが、あまりにも選手たちが多いので一種の恐怖感に襲われる。「右に寄ってください」「ここから河川敷におります」と腕を右へ右へと大きく振り、大声を張り上げる。だが、選手たちの足音の方が大きく、まさに怒濤のような人波が迫ってくるのである。はっきりいって恐ろしい感じだ。それにしても、走ることが好きな人がこんなに大勢いるなんて凄いなぁと驚くのは私だけだろうか。ことしは約9千4百人余り(毎年なら抽選で6千人限定)の選手と聞いている。表情を変えず楽々に走り去る選手もいれば、息苦しく、必死に走る姿も見られる。最後の方になるとゆっくりマイペースで走る人たちも現われる。足に自信のない私だが、かつて10kmの丹波高原マラソンに2年連続で出場したが、制限時間内に入るのが精一杯だった。いまならもっと遅い、いやそこまで走れないと思う。いずれにしても、何か目的をもって挑戦することほど素晴らしいものはないだろう。成績はともかく、本日、参加された選手たちに拍手を贈ろうではないか。お疲れさまでした。(03.09)

オシャレな帽子。
私は昔から帽子が好きだ。寒いから帽子をかぶるという理由もあるが、この冬、私はデパートでオシャレでステキな帽子を見つけた。だが、その時は買うのを控えた。なぜか、といえば色と少し形が違うがいままでのソフト帽子が待ったをかけたのである。でも、どうしても欲しくなり、後日、売り場に足を運ぶとお気に入りの帽子は売れていた。店員に訪ねると昨日、売れてしまいました。「どうしても、あの帽子が欲しいんです」というと、早速、メーカーに聞いてみますと快い返事。そして東京の方にあることが判明した。だが、10日ほどかかるという。ま、仕方ないか。心の中では、なぜそんなに時間がかかるんだと叫んでいたが…。あっただけでもうれしい。ここは、気を長くして待とう。そして、憧れのソフト帽子は1週間後に届いた。やったぁ!最高の歓び。

帽子をかぶろう。
明治、大正、昭和初期の写真を見ていると、男の人は必ず帽子をかぶっているのに気づく。都会の紳士はもちろん、田舎のおやじさん、薮入りで町に出る小僧さんなど、誰でも帽子をかぶっている。本来、男は帽子をかぶるべきものであったのか。そういう時代だったのだ。戦後生まれの私だが、いつの間にか、日本人は帽子をかぷらないようになってしまった。むかし、帽子屋は何軒もあったのに、いまは探すのが面 倒なくらい難しい。そういえば、高校生あたりから、帽子をかぶらなくなったと思う。髪型が崩れるという理由が大きかった。この時代に帽子をかぶるという行為には、一種の勇気が必要だ。でも、それがまた楽しい感じがする。帽子をかぶるのは、オシャレだけのためではない。日射しを避ける、防寒になる、頭を危険から守ってくれる、頭髪の保護にもつながるのである。

帽子が似合わない。
ソフトをといえば、ポルサリーノ。まるで映画俳優になった気分でツバをかっこうおろし、後ろはあげる。でも、これが似合うか、似合わないかはかぶる人によると思う。頭や顔の形が大きく左右すると思う。実は私も、初めは似合わないと思いこんでいた。でもそれは、選ぶ帽子やかぶり方の問題であることに気付いた。もちろん、苦手という人にまですすめる気はない。はっきり言って、日本人には帽子が似あわない。ヨーロッパの人たちのようには似合わないのは確かだ。どうしても帽子の駄 目な人はかぶる必要はない。鏡の前で、いろいろなかぶり方をして、何度もかぶりなおし、自分の型を身につけるようにするしかない。思わず、吹き出してしまうが、案外、愉しいのもだ。勇気がいるというのは、そういう行為から生まれるのではないか。

脱帽の心得。
最近、若い人たちが帽子をかぶっている姿をよく目にする。だが、問題はどこでもかぶり続けていることである。室内で許されるのは女性だけだ。室内では脱帽するが基本。相手に対して失礼である。外国映画のように、エレベーターに女性が乗ってくると脱帽する、そんな紳士的な行為がスマートにできればいいのだが、これまた勇気がいりそうだ。ま、常識というか、エチケットをもって、お気に入りの帽子を楽しもうではないか。 (02.07)

鬼は外、福は内。
二月の京都は、節分の賑わいであける。暦の上では、長かった「寒」が終わり、ようやく「春」の気配がしのび寄るのである。とはいっても、京都はこれから本格的な寒さを迎えることになるのだが、やはり立春の到来は嬉しいものである。一般 的に節分といえば、二月三日をさすが、市内の多くの社寺では二〜四日にかけて「節分会」があちこちで催されている。吉田神社、壬生寺、盧山寺などが有名で、災厄を逃れ、幸せを願う大勢の善男善女で賑わう。先日、京都広告協会の新年会(1/29)でも、年男による豆まきと、吉田神社から出前の赤鬼と青鬼で厄払いをしてもらった。鬼といえばかつて、京の底冷えの厳しさの中で吉田神社の追儺式を取材した時を思い出す。勇壮な中に秘められた優雅さとでもいうか、古式ゆかしい美しさに寒さも忘れ見入ってしまったことを。夜遅く、家で豆まきをし、かぞえ年の数だけ豆を食べ、ことしは南南東に向かって巻寿司を痛快まるかじり。そして食膳に用意された鰯をいただいた。小骨の多い魚は小さな頃から苦手だった。特に、喉にこわいしね。いくつになっても、あの頃の心境で食べている自分が可笑しかった。口福、来るなり。(02.03)

吉祥院天満宮。
朝はやく近くの天満宮にお詣りに行った。ことし初詣でに行ってないのが気になっていたからだ。「学問の神さん」で親しまれいる天満宮は、昨年、菅原道真公ご昇神より千百年の年にあたり、天満宮千百年大祭が開かれた。「北野の天神さん」で名高い北野天満宮でもいろいろな行事が催された。我が友人の阿武野逢世(本名福井秀彦)の奉納演奏もあった。南区にあるここ吉祥院天満宮も、本殿が新しくなった。その姿を友人の画家・南久美子さん(書とマンガのデュオ「ほっとする本」光村推古堂書院刊)が描いていたのには驚かされた。というより、なんだかとても嬉しかった。宮司さんに尋ねたところ、平安神宮からの紹介だそうだ。いずれにせよ、近くのお宮さんが友人の手によって描かれているのは、嬉しくて仕方がないものだ。そうそう境内の紅梅も、白梅も、寒さに負けず花を咲かせ始めていた。こんや、ここでも節分祭がおこなわれる。(02.02)

SCAD卒展。
ことしも1/29から成安造形短期大学の卒業作品展が、京都市美術館で開かれている。遅くなったが、本日、見に行ってきた。美術コース(日本画・洋画・立体造形)染織テキスタイルデザインコース(染工房・織工房・プリント工房)デザインコース(グラフィックデザイン・メディアデザイン・イラストレーション・インテリアプロダクト)、各学生たち作品が全館を借り切って展示されている。なかでも、教え子のグラフィックの学生がどんな作品を出しているのか気になる。どの作品も見事だった。あの子がこんな発想を、表現をと見てまわる度に驚かされた。制作意図もちゃんとまとめ上げ、おみごとの連続。これからも、どんどん成長していって欲しい。みんなと会えるのは卒業式だね。(02.01)

なぜか左眼。
あっという間に1月が終わってしまった。明日から暦は如月。本格的な寒さがやって来そうだ。
だが、いまの私は不調である。風邪ではない、生まれて初めてメーボー(眼イボ?ものもらい?)にかかってしまった。先日、眼科で診てもらったら「腫れてシコリができているから、いまは切れない。ちょっと目薬で様子をみよう」ということになり、1日4回、2種類の目薬をさしている。原因は疲れからきているそうだ。そういえば、年末年始、ちょっと無理したことからな。大事な眼に来てしまったようだ。でも、目薬だけでほんとうに治るのだろうか。ちょっぴり不安を抱きながら、腫れ上がった瞼を見つめている毎日。あぁ〜はやく治ってくれと願うしかないか。眼がはっきりしないと、なんかうっとしい感じだ。(01.31)

謹賀新年!未が、来た。
めでたい立派な正月。何かと不安な世相だが、夢と情熱、希望と勇気を失わず、明 るい心で新年を祝いたい。未(ひつじ)歳。うめぇ〜話なんてなかなかないが、できれば前途洋々といきたいもの。未が来ると書いて未来だ。ことしも明るく元気いっぱい頑張る。物事をしっかり認識し、感情に走らず、内に秘めた知性や理性によって求められ るものに、きちんと対応する。余計なものはとことん削ぎ落とし、本質をついた内容で、人の心を動かしたい。きっと、歓びと感動はそこから生まれるはず、と考えたい。本年もどうかよろしくお願い申しあげます。
  2003年 元旦
        有限会社 橋本広告事務所 橋本 繁美


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