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ここだけのはなし2002 バックナンバー 
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北野天満宮(撮影日 2002.01.09)


北野天満宮(撮影日 2002.01.09)

梅は、春告花。
早春のまだ冷たい空気のなかで、一輪、一輪と気のはやい春の花が咲き始める。蕾のふくらみが並ぶ横で、花びらが寒気にふるえている老梅の紅花。その芳しい香りは花以上に愛でられ、万葉集以来、日本人に最も愛されてきた花である。梅は松竹梅と嘉祥木のひとつとして、古くから日本人が開花を待ちこがれる花であり、長寿のシンボルでもある。寒さ厳しいこの季節に、蕾がほころび始め、雅やかな花を咲かせる。これぞ、凛とした趣があり、美しい。

 

    

遅刻の誕生。
大人になるにつれ、時間の経つのがはやく感じるのはなぜだろう。いくつになっても時間の使い方が上手になれない私は毎日、時間に追われてしまっている。決して、そんなに仕事を抱え込んでいるわけではないのに原因は性格なのか、考え方が甘いのだろうか。困ったもんだ。誰か教えて。
時間に縛られるのを嫌いながらも、縛られている現代人とは、一体どのようにして生み出されたのだろうか。そんな時間意識の形成や定着に対して正面 から取り組んだ本が『遅刻の誕生』(橋本毅彦・栗山茂久編著)がある。その本によると「時間の歴史」はまだまだ新しい。 明治政府は明治5年(1872)に改暦を決定し、その翌年から西洋の時刻制度を導入。それまでは、昼と夜の時間をそれぞれ等分して時間を計測する「不定時法」だった。だから当時は、鉄道でも定時運行ではなかった。学校でも同じで、生徒だけでなく先生までも時間にルーズだった。教師に来客があると、学校の隣にある校長の家の座敷で 饗宴が始まり、生徒たちは自主時間となって、山や川で遊んでいた。のどかではないか。しかし、遅刻には罰則が科され、授業では「時は金なり」をモットーとして勤勉が教え込まれていったそうだ。
昭和初期には、軍隊・学校・鉄道、それに科学的管理法を導入した工場が時間尊重と定時励行の規律が守られたという。そこでは生活サイクルを監督と監視によって、時間規律を身につけていく身体の訓練が課せられシステム化されていったと思われる。時間の規律化が身体的訓練とどのように関わっていたのかに着目したなら、日本人の近代的身体がどのように形成されていったのかをもっとリアルに浮かび上がらせることができたのではないか。また逆に、近代的身体に馴致されずに、能率や時間の節約を少なからず無視しながら「前近代的」とされた遅刻を許容している面 も明らかにすることができたのではないか。
京都時間とか奄美大島時間といったように、時間の前に地名を付けて、時間を守らない土地柄をやや自嘲気味に言い訳するような言葉が各地にある(あった)。それは時 間感覚がまったくないというわけでない。定刻に幅をもたせ、融通をきかせているといった風である。近代的時間を意義を流用して民族的時間意識も一方では生み出されていったのだ。高齢化社会の現代でこそ、長い人生スパンのなかで遅れやゆとりの意義を見出すような、遅刻の文化をあらためて考えみる必要があると思った。以前に、阪大の川村邦光教授がこの本を新聞に紹介されたコメントがあまりにも興味深かったので、引用させてもらった。この本は国際日本文化研究センターで開催された共同研究の成果 をまとめたもので、 時間意識の形成検証がとてもわかりやく楽しく書かれた一冊。三元社・3,800円。さて、明日からはもう少し時間とうまく付き合っていこうと思う夜である。
(2002.01.31)

雪景色が見たい。
暖冬のせいなのか、雪が降らない。その割には厳しい寒さが続いているのはなぜか。納得がいかん。なぜ雪かといえば、たまらなく雪景色に映える京都が見たいだけだ。できれば市内を離れて大原の里が絵になる。一般 的には三千院を訪れる人の足がそこで止まってしまうが、その奥に魅力があると話に聞いたので、いくら寒かろうとも出掛けてみたいと考えている。
三千院から少し北へ行くと、声明の修業をするために円仁により創建された勝林院塔頭の実光院がある。境内の近くには、語源「呂律がまわる」の発祥となった呂律川があり、声明音律に因んで南を呂川、北を律川と名づけられている。庭園の池畔には、晩秋の紅葉とともに咲き始める名桜がある。「不断桜」と呼ばれる寒桜は、淡桃色の花弁が冬の間咲き続け、4月に満開となるらしい。きっと季節はずれの桜を見てみたい。厳しい冬の冷たさのなかに、ほっとした暖かさを与えてくれるに違いない。 さらに北へ足をのばすと、魚山一帯の本山にあたる勝林院がある。大原魚山流声明の根本道場として栄えたところ。かつて顕真僧正が法然上人を招いて浄土教について論議をせしめた、いわゆる「大原問答」の会場となったことで名高い。その席には多くの名僧や学匠が連なり、何日もかけて各自が弁舌をふるって法然上人に発問したが、彼の説く話にことごとく信伏し、3百人の聴衆はそろって念仏を唱えたという。
その奥には、実光院と同じく勝林院塔頭の宝泉院がある。書院前には寺のシンボルといえる樹齢7百余年を数える五葉松がある。雪景色の庭には、たくさんの赤い実をつけた万両の葉が雪を重たげに被っているそうだ。葉が実を守り、何やらありがたいような光景らしい。ぜひ写 真に撮りたい。。大原の里は、京都市内でいちばん雪が多いところだが、かつて比叡山を中心として栄えた天台仏教の宝庫で古くより大原別 所としての名をもつ。勝林院は別名「大原(たいげん)寺」と称したところからも、この辺り一帯が、大原と呼ばれるようになったといわれている。雪景色に映える大原の里がはやく見たい。雪が降るの日が待ち遠しいな。カメラぶらさげてゼッタイ行くぞ!(2002.01.29)

大人の万年筆。

先日、知人からフランスのお土産として万年筆を頂戴した。仕事柄、文字を書くこと を気遣ってくれたのだろう。早速、手にしてみるとなんと軽いことか。その濃茶色の 半透明ボディ「ウォーターマン」に、懐かしい感じがするインクカートリッジを差し込み、試し書きをしてみた。とても書きやすいのですっかり気に入ってしまった。
コピーライターの世界でも、ワープロやパソコンが普及し、原稿を手書きすることがかなり減ったが、この世界に入ってからずっと筆記具にはこだわっている。別 に、お 気に入りのペンでも書けないときは書けないのだが、やはり気分が違うものだ。私の愛用は「モンブラン」の極太と太字の2本だ。今ではほとんど手紙用となっているが、万年筆を手にすると胸の鼓動が一気に高まる。作家気取りで原稿が書けたらなんて甘い考えはあっても、現実は厳しく書けないことくらいはわかっている。だが、お気に入りの万年筆を手にして書き始めると、いくつになっても万年筆は大人の道具だなと感じてしまう。
中学生の頃、初めて万年筆を買って貰ったことを覚えている。メーカーは「パイロッ ト」でシルバーキャップをはずし、どきどきしながら下手な字を綴っていたのである。今ならペンは服の内ポケットか、カバンの中に入れて持ち歩くが、当時はいかにも誇らしげに胸ポケットにさすのが実に嬉しかったものだ。学生服を脱ぐ季節になると、こんどはカッターシャツの胸にさしていた。その頃、「プラチナ」というメーカーがミニサイズの万年筆を発売した。普段は短く、使用時には取ったキャップをお尻にはめると普通 の長さになるという方式のもので、中のカートリッジも
特別の短いものだった。2本の万年筆を所有することになった私は、学習ノートに落書きばかりしていた。鉛筆と違って万年筆は消しゴムで消すことができないため、授業に使えば ノートは書き損じや書き直しの山となっていた。気がつけば白のワイシャツに青インクの滲みをつくることもしばしば。あの頃は、ただ嬉しいばかりで、上手な使い方を知らなかったのだ、鉛筆から万年筆に持ち替えという体験のなかで、万年筆で書くという行為そのものが大人への儀式みたいに感じていたのかもしれない。これからも昔の体験が体内で熟成してゆく気がしてならない。
あれから長い歳月が流れたが、今でも万年筆を手にするとドキドキするのは、心のどこかで清書みたいに感じてしまうのだろう。まわりの人からみると嗜好品のように思われがちだが、私にとってはキーボードを叩くのとは違った、ペン先から流れるインクの文字といった実用的な気分が好きだ。シャープペンしか知らない今の子供たちも、筆記具に対してのこだわりをいつか持つことができるのだろうか。それともシャープペンの世界で違う体験を得ているのだろうか。できれば万年筆を一度、手にして大人になって欲しいな。時代が違いすぎるか。(2002.01.28)

ひらがなが、お好き!?

昨日、仲間たちとの会話のなかで、携帯メールの話で盛り上がった。それは、今の子供たちの間では文字より記号を用いてコミュニケーションをとっているという。大人が見ても本人に聞かなければわからないメール文だという。日本語は進化するのはいつの時代も同じだが、記号化されていくことに抵抗を感じるのは大人のほとんどだろう。象形文字から漢字が生まれたことくらいは誰でも知っているはずなのに、今度は言葉を略して記号化する。しかも、デザイン的に限定された記号の中から選んでの話だ。仕事柄、絵文字や絵言葉ともいえるピクトグラムを作ることはある。非常階段とか、トイレなどのマーク、つまり絵だけで伝達する記号。その考えからいえば、意味不明の記号が多いのではないだろうか。もっとわかりやすい、グッドデザインを入れて欲しいものである。
若者たちに人気のある携帯メールは「ひらがな56%、漢字22%、記号12%、カタカナ7%」などで書かれていて、漢字の割合は、新聞(40%)や雑誌(27%)、テレビ(30%)より少なく、逆にひらがなは新聞、雑誌などに比べて圧倒的に多いことが、国立国語研究所の調査でわかった。2年がかりで2600通 の計10万字を分析した。IT時代の日本語表記の一端をうかがわせている。そんな記事が昨年の8月2日に朝日新聞に載っていた。面 白いので少し紹介する。漢字で使用頻度の高いのは、1.日、2.今、3.行、4.明、5.時、6.一、7.人、8.気、9.出、10.話の順。ほとんど小学校1、2年で習う漢字 ばかり。だが、2年で習う「汽・弓・牛・麦・妹」は登場せず。漢字の89%が常用漢字 表(1945字)に収まっている。文末に「。。。」と句点を重ねて余韻を出したり、(笑)(泣)(怒)などと書いたり、絵文字でマークを入れたり。簡単メールとでもいうか、手間のかかることはできるだけ避け、一刻もはやく伝えたい表われなのか。 その分、少しでも感情を伝えたいという心情の表われかもしれない。個人的には、意外とカタカナ書きが少なかっただけでもよしとするか。(笑)

社会へのプレゼンテーション。

いま芸術系の学校では、卒業制作の季節である。ある学校の非常勤講師として受け持つ学生たちも、急ピッチ(?)で仕上げにかかっている。昨夜も午前4時すぎまでかかって企画書を仕上げたらしい。というのは、本日が研究課題として取り組んできたテーマ「京のまちクリーンアップ作戦」のプレゼンテーションの日なのだ。この日のために、学生たちは休日ともなれば観光地に出かけ、アンケートや街頭インタビューで生の声を収集したり、ポイ捨てされている現場を写 真に納め、それらを分析し、美化につながるヒントをひねりだしてきた。コンセプトの発見に至るまで長い時間を要したが、それぞれにポスターに仕上げ、それを説明するための趣意書ともいえる企画書を完成させた。プレゼンの相手は行政である。午後2時、担当の課長を含め4名の方々が、貴重な時間を学生たちのためにさいてくださった。一人が全体の考えを述べ、個々の作品に関しては制作者が説明をおこなった。まぁまぁ上手にできたのではないかと思う。相手の質問に関しては、意見が統一できていなかった点が少し惜しまれるが、ま、今後の役に立つのではと思った。もちろん、偉そうにいう私もプレゼン慣れしている訳ではない。何事も経験を積み重ね、失敗して少しずつ社会を知っていくのだろう。残念ながら一生懸命やった研究課題だが、相手の反応はいまひとつだった。個人的には相手が喜ぶものと信じていただけにショックは隠しきれなかった。社会の厳しさを学生たちと体験したプレゼンだった。こちらも、はやく大人になろうっと。(2002.01.24)

「おとな」という日本語は「おとなしい」の元のことばだ。
要するに、洋の東西をとわず、ジェントルなのが社会人だった。
物事をしっかり認識し、感情に走らず、
内に秘めた知性や理性によって確実に行動できる人間。
社会から求められるものに、
きちんと応対できる人間が洋の東西をこえて大人である。
英語で責任をリスポンシビリティーという。
社会にリスポンス(応える)できるアビリティー(能力)をもって、
はじめて責任ある大人なのである。

               
    中西進著『日本人の忘れ物』より

 

時代はつり上がった眼?!

最近のクルマは、なぜあんな顔をしているのだろう。デザインが気になる。特に、ヘッドラランプの形だ。つり上がった眼である。奈良美智さんのアニメキャラクターも、少女の太めの三日月のようにつり上がった眼。その共通 点が気になっていた。たぶん私だけではないと思う。そんなある日、哲学者の鷲田清一さんが日経新聞「あすの話題」でこの点に着眼されたエッセーがあるので引用させていただく。
つり上がった眼、その特徴は下から見上げる鋭い眼光である。従順でない視線と言ってもいい。「子ども」や「ファミリー」の穏やかなイメージ、そういう予定調和を拒むものがそこにはある。暗闇からぬ っと現われるもの。イメージにすっぽり包まれて脱力させられた物たちが、いままたそのイメージの被いを破りはじめたということなのだろうか。インターネットや携帯電話の導入でますます移動性を高めてきた現代の都市には、経験を累積しそれをもとに未来を予測する定住型の感受性ではなく、不意に襲ってくるような何かの兆候を臨機応変に読み解く狩猟民族のような感受性が必要なのかもしれない。それともそんな安直な解釈に包みこめない未知の何かがそこに現われだしているのだろうか。
さすが、鷲田さん。時代の感触、スタイル。読んでドキッとした。さて、あなたはどう思われるのだろうか。 (2002.01.21)

ほんの少しずつ春へ。

寒さ厳しい早春の朝。まだ冷たい空気のなかで、膨らんだ蕾がほとんどだったが、ほんの少しだけ一輪一輪と梅の花を咲かせていた。梅の甘く優しい、芳しい香りは花以上に愛でられ、日本人に最も愛されてきた。梅は春告花として、また松竹梅と嘉祥木のひとつとして、古くから日本人が開花を待ちこがれる花であった。万葉集では萩についで多く詠まれ、かつて花といえば梅の花のことをさした。そもそもの原産地は中国であり、日本へ薬用として渡来したのはかなり古い。梅は花とともに、実も楽しめる貴重な木。長い時を経て、果 実を食材として利用することも含め、梅の品種改良と栽培が日本各地でおこなわれてきた。梅といえば、菅原道真公を連想するほど有名な北野天満宮。五十種二千本以上のスケールと背景の社殿の美しさで、名実ともに日本一の梅の名所である。今朝、北野天満宮へお詣りに行ってきた感想である。(2002.01.19)

グラフィックデザイナー 田中一光さん
最後のエッセー「着地」

デザインの世界に「着地」という比喩がある。「デザインの目的」という到着地に着陸できることをいう。どうしてこんな航空用語が使われたのかは不明であるが、私にとっての語源は亀倉雄策氏の「離陸着陸」というデザイナーにとってバイブルのようなエッセイ集があって、その小編に由来している。 むかしデザイナーの先輩たちから「田中一光のデザインはビスが一本足りないなあ」とよくいわれた。何のことかよくわからなかったが、つまり機能的な説得力に欠けることをいうのだそうだ。ファインアートとの基本的な違いは、この「発想の着地点」があるかないかなのである。それを私なりに理解してビスや着地で頭がいっぱいになった時期がある。
デザインの発想という飛行機は、広い空をぐんぐんと飛ばなくてはならない。頭を自由にするということだ。なにものにも制限をうけることなく心をはずませ、面 白気分いっぱいにして、着地する。いくら天衣無縫に飛行しても着地が悪いとそれはデザインとしての評価が薄い。だからといって着地ばかりを気にして、飛びなれた部分をなぞって無事着地が行なわれても、それもデザインと呼ぶにふさわしくない。危険地帯や荒れた気候の中をくぐりぬ けて見事な着地が行なわれた場合、その冒険に気持ちが高揚して気分がいい。未知に触れたデザインの発想は大いに拍手を受けることになる。
しかし現代ではこの着地と、目的という着地先の解釈が揺れている。グローバルになって人間のありようが少しずつ変わってきている。普遍性、汎用性の範囲が従来の紋切り型ではなくなったのは事実である。着地するときの滑走の気分のよさはそう簡単には味わえない時代だ。
今月10日急死された日本を代表するグラフィックデザイナー、アートディレクターの田中一光さん。社会を動かした「伝統とモダン」。伝統と現代的な感性を新しい生活意識に融合させることができる数少ないデザイナーとして自らの美学を貫きとおした田中一光さん。合掌
(2002.01.18 朝日新聞夕刊のエッセーより)

夢中になること。

私にとってのスポーツといえば、自慢できるものなど何ひとつない。でも、その時々に夢中になっていたことを思い出す。中学時代にやっていたバスケットボール。社会人になりたての頃、覚えたテニスとスキー。そして30代の手前で免許を手にしたバイク。当時は、河原や山でのモトクロごこで泥んこになって遊んでいた。仲間とのツーリングもよく行った。そうそうマラソンにも2年連続で参加した。といっても、たった10kmだが、結果 はきりきりの制限時間内。40代後半でダイビングの魅力にはまり奄美大島通い。だが、息遣いがあらいせいか潜水時間は人よりも短い。そしてカメラをぶらさげて山歩き。とにかくスポーツは楽しむもの。少しくらいは上手になろうと思ってはいるものの、なかなか運動神経と体力が意に反してしまう。人に迷惑をかけない。自分なりに努力はするが、そのまま技術の向上に繋がったり、他の人との優劣が目に見えるというものではない。それだけに、スポーツは自分にとって意味があればそれでよいわけだ。無理せず、自己を解放してやると、なんと気持ちのよいことか。息を切らして汗を流せば、心地良さが倍増するみたいだ。(2002.01.16)

神様、怒ってない!?

この正月にお世話になった〆縄や正月飾りを感謝と祈願をこめて燃やす「とんど」 (地方によっては「どんと焼き」とか呼び方はいろいろ)。とんどに、書初めを燃やすと、字がうまくなると小さい頃、祖母から聞かされたことを思い出しながら、昨日、近くの吉祥天満宮にとんどに出掛けた。初詣以来の参拝だ。境内では大きな火が 勢いよく炎と煙が上がっていた。それを囲むように大勢の参拝者が次々と正月飾りを ほりこんでいく。焼けた藁の灰が空から降ってくる。ミカンの焼けた匂いもする。私の故郷では、自分とこの分の灰を持って帰り、家のまわりにまき、厄除けとしていた。 たぶん今も続いていると思う。こういった風習って若い時には良さがわからないものだが、時代や世代が変わってもいつまでも絶えてほしくないものだ。境内では、毎年この時期に子供たちの書初め展が開かれ、こちら目当てにも多くの人たちが訪れている。
ところで、一軒の家でどれくらいの神様を信仰しているのだろうか。というのは、一年のうちでどれくらいの神様にお詣りしているのだろうか。ちゃんとした信仰心さえあれば、神様同士は喧嘩などしないのだろうか。困った時の神頼みが多すぎる訳ではない。我が家の場合、地元の吉祥天満宮と、田舎の船井神社へは必ず初詣、先日登 った愛宕山の阿多古神社、祇園祭の八坂神社と大原(おおはら)神社、亀岡の出雲大社、三和町の大原(おおばら)神社などなど、御札の数だけでもかなり多くある。いろんなところに、いろんな神様がいられるそうだから、ひとつの家庭内に祀られてい ても問題はないと考えれば問題はなさそうだ。大事なのは、御札の種類や数ではなく、見えないところにも神様が存在していること忘れてならないことだろう。
(2002.01.15)

大人になれない「成人式」。

数年前から、ハッピーマンデー法とかで1月の第2月曜日が「成人の日」で世間はお休み。こちらも連休で、朝からのんびり。だが、どうも1月15日で長い間育ったものには未だしっくりこない「成人の日」だ。昔は、元服といって男子の成人を意味し、元服式で初めて冠りものを被り、幼名を改め、大人の服を着たといわれる。時代は変わっても、街は成人を迎える若者たちの晴れ着姿があざやかに映る。華やいで気持ちいい世界だ。朝早くから美容院と着付け、記念写 真と忙しかったのだろうなと余計なことを考えてしまう。最近は男性の着物姿もちらほら。なかには、芸能人も顔負けのカラフルな羽織袴姿もいる。茶髪にピアス、ひげ、ケータイなど、ファッションと共に時代はどんどん変わっていく。おしゃれは自 由に楽しめばいい。ただひとつ、絶対にやって欲しくないのは二十歳になった大人としての自覚だ。どうかすてきな大人になっていただきたい。まずは、成人おめでとう。
ちょうど一年前の成人式は、式典で大騒ぎする一部の若者たちがニュースになった。 大人への祝典なのに、何を勘違いしたか悪ガキどもが成人式をめちゃくちゃにした。今年こそはと思っていたら、残念ながら各地で同じような騒ぎが起きているではないか。あまりにも情けない。この日を楽しみにしている若者がほとんどだと思うが、一部の悪ガキどもが暴走するのなら、式典だけでなく、「成人の日」そのものをあらためて検討すべきではないだろうか。 (2002.01.14)

音で熟成する想像力。

「遠い地平線が消えて ふかぶかとした夜の闇に心を休める時 はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は たゆみない宇宙の営みを告げています。満天の星をいただく果 てしない光の海を 豊かに流れゆく風に心を開けば きらめく星座の物語も聞こえてくる。夜の静寂(しじま)のなんとと饒舌なことでしょう。光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。夜間飛行のジェット機の翼が点滅するランプは 遠ざかるにつれ次第に星のまたたきと区別 がつかなくなります。お送りしておりますこの音楽が美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように…」。懐かしいと思われる方は、同世代か人生の先輩。学生の頃からよく聴いていたFM大阪(発信はFM東京)の「ジェットストリーム」。いまは亡き城達也さんのナレーションではじまる深夜0時からのラジオ番組である。かかる音楽は選曲抜群でイージーリスニングとなり、まだ行ったことのない異国の地に思いを馳せていた。毎晩のように、夢先案内人である城達也さんの声と音楽によって、心地よい夢を見ていた頃が懐かしい。音文字だけのラジオによって、想像する楽しみを知らず知らずの間に覚えていたのかもしれない。あのナレーションを書いていた放送作家ってどんなひとなのだろう。いまから思うと、上手に構成されていたなと感心するばかりだ。(2002.01.12)

初えびすで商売繁盛!?

十日えびすに行くようになったのは、いつ頃からだろうか。毎年、正月が明けると一年間お世話になった吉兆笹を持って、恒例のように出掛ける。四条通 から大和大路通を南へ歩き始めると、両サイドは屋台がずらりと立ち並び、祭気分は自然と高まってくる。この雰囲気が好きなのかな。露店で狭くなった道を沢山の参拝客が埋め尽くす。途中で、酒屋さんの前で升酒をぐいっと呑みほし、身体をあたため、体内を浄める。恵比須神社に近づくと人の流れはほとんどスローモーション。なんとか境内に辿り着くことができても人の山。吉兆笹を授かるまで長い列ができている。ようやく手にして、こんどは鯛、福俵、宝船、千両箱、絵馬などの縁起物をぶら下げてもらうのがこれまた楽しい。ちょっと高くつくがを神様だ、仕方がない。由来は、恵比須神が正月10日の寅の刻に生まれたといわれ、十日えびすは恵比須さんの縁日にあたるらしい。商売繁盛と家内安全の神様、がんばりまっせ。今年もどうかよしく。(2001.01.11)

家庭用フランス料理。

昨夜、ある店で食事を楽しんだ。以前から気にはなっていたのが、恥ずかしい話なかなか入る勇気がなかった。職場の3人で訪れた店内は、なかなかあたたかな雰囲気のいい感じ。カップルをはじめ、若い女性たちで賑わっていた。顔見知りのお店の人に聞いてメニューを決め、ついでにワインも注文。料理が出てくるまでに出されたのが、名前は忘れてしまったがハーブなどに漬込んだ色濃いオリーブの実が6つ(ノルマは1人2個)。つまようじにささって登場したので、さっそく口に。思わずウー、なんだこれは?と思ったのはみんな同じだった。この味というものは、まさに言葉にすることができない。ただ、まずいだけではすまされない。口のなかにオキシドール(消毒液)を含んだ感じだ。他の比喩が思い浮かばないほど、口でカルチャーショックを覚えた。フランス人は本当にこんなのを食べているのだろうか。一瞬どころか、いまでもそう思っている(お店の人ごめんなさい)。そのおかげかどうかはしらないが、後に出てきた料理の美味しいこと。最後のデザートまですっかり戴いた。昨夜の香辛料の強いおかげで、本日は口臭どころか、食欲がわかないのは歳のせいかな?刺激が強すぎたみたいだ。単に身体が冷えきっており、疲れていたからだろうか。ところで、味覚を表現するのは難しい。美味しい、うまいだけでは白ける。そこで、さまざまな比喩を用いて表現しようとするが、これまた厄介である。ところが、文章表現の上手な人の手にかかると、味も、匂いも、さらには温かみまで、その通 りに伝わってくるから不思議である。もっともっと勉強しなきゃ。(2001.01.10)

予知できないモノの生命。

ある日突然、ノートパソコンが壊れた。その翌日、クルマが動かなくなった。どちらも大事に使っていた必需品だけに、困るというより不便で仕方がなかった。機能を果 たさなくなる前に、何かの兆しや予感があるのではといわれそうだが、今回は何ひとつ感じられなかった。モバイル用のノートパソコンは、開いたら画面 側のバネ?がきかなくなり、180度倒れてしまった。使う時は画面の後側に、食卓にあったリンゴを置いて角度を調整するという原始的な方法しかなかった。年明け早々、保証書持参で販売店へ持ち込んだ。まだ7ヵ月目に突入というのに、店員の応対でさらに腹が立った。というのは、1年間保証というのに「修理見積りをとるだけで費用がかかるので、いくらまでなら修理可能か」と聞いてくるではないか。しかも修理に1ヵ月はかかるという。なおしてもらわないと使えない。頼れるのは販売店しかないというのに。マニュアル通 りの応対にハートが無さ過ぎる。なんか弱みに付け込んだ商法みたいで気分悪かった。愛車の方は、ドライブ中にバッテリーが上がってしまったのだ。目的地の途中で、休憩しようと停車したらそのまま動かなくなった。クルマ大好き人間としてはショックだった。なんかドライバー失格のような気がした。もちろん、バッテリーが冬の寒さに弱いことくらい知っている。昨年の春、車検時に交換してもらったバッテリーですぞ。こちらも7ヵ月目。毎日乗っているが走行もしれている。あら悲しい、保証期間は6ヵ月。また修理代が怖い。そりゃ、モノにはアタリ、ハズレがあるだろうが、同時にふたつはキツイぜ。(2001.01.09)

愛宕山詣り。

のんびりと過ごした正月で身体も休養し過ぎたみたいだ。というのは、今年も上田真三さんの会社(株式会社枡儀)の新年会に参加してつくづく感じたからだ。新年会といっても、単に御馳走とお屠蘇で祝うのではなく、みんなで愛宕山にお詣りに行き、帰りは水尾(柚の里)へ降りて、柚風呂に入り、それからが宴会という充実した一日が送れる内容となっている。朝八時十七分、JR花園駅に集合し、清滝から歩き出したものの、仲間から外れていくばかり。前半はマイペースでいいかと思って息遣い荒く一歩一歩前へと登り始めた。しかし、体調と気分は最高にいいのに、なぜか足が重い。静かな山へ一歩を踏み出し、順調に歩き出したはずなのに、半時間ほどで、足は鈍り、息も切れてしまった。どうすれば、もっと楽に山歩きが楽しめるのか、以前に上田さんに聞いたことを思い出した「最初から飛ばし過ぎ。自分でも遅いなと思うスピードで歩くこと。とにかくゆっくり、ゆっくり。それが準備運動となって、次第に歩く速さがつかめてくるよ。そして気がつけば、山登りってなんて楽なのだろうと思う。そうなれば一人前だよ(笑)」。ところが、その自分でも遅いと思う速さで歩くことの難しいこと。普段何気なく歩いている人間にとっては、少しでも早足こそが健康づくりにつながると思っていただけに、その言葉には重みを感じた。ゆっくりと歩くことは実に難しい。最初の一歩とはうまくいったものだ。無理せずマイペースで、山登りを楽しむ。何度も休憩してもよし、ただひたすらに頂上をめざし、歩き続ける。滝のように流れ落ちる汗を拭いながら、ゆっくりと駆け上っていく。山の上から望む光景の素晴らしさは、きっと汗の恩恵なのだろう。だが、恥ずかしい話、今回は特に山の長い階段はとてもしんどかった。途中の平坦な道で時間を縮めればいいかと思ってはいたが、先頭から遅れること半時間。頂上付近ではちらちらと雪も降り、足元はアイスバーン状態。こけるまいと神経をつかいながらようやく参拝ができた。ここは昔から、火の神さんで名高い。京都人ならよくご存知の「火迺要慎」と書かれた愛宕(阿多古)神社の御札を授かって水尾へ下山。新年早々から、身も心も清らかになれた一日だった。いい機会を与えてもらえたことに感謝。本日の教訓「もう少し身体を鍛えておこう」(2002.01.05)

うれしい年賀状。

毎年、新春に届く年賀状を手にして思うのは、これだけ多くの人との出逢いがあったことに驚かされる。一人ひとりの出逢いに、心から感謝。ことしも知りあった人たちとどれだけ交流が深められるか、そしてどんな人たちとの出逢いが待っているのだろうか。やはりEメールや電話などの年賀の挨拶もあるが、それぞれに凝った年賀状を一枚一枚、読んでいくと顔が浮かび、実にうれしい限りである。景気の低迷を受けて、まっすぐ前へとか、元気に精一杯頑張ろうというメッセージや、初春らしく夢や抱負を題材にした内容が多かった。個人的なものでは、家族の近況報告なんかも和ませてくれる。さぁ、今年も、いや本年こそは勝負の年だ。どうかお付き合いのほど、よろしく。(2002.01.04)

ジルヴェスター・コンサート

毎年、大晦日の夜といえば、我が家でNHKテレビ「紅白歌合戦」をみながら年越しそばを食べ、「ゆく年くる年」の頃になると近くの神社へ初詣に出かけていた。しかし、 二年前から新しい年を美しいクラシック音楽を聴きながら迎えるジルヴェスター・コ ンサートに出かけるようになった。昨年の暮れも、びわ湖ホールでカウントダウンができた。『ジルヴェスター』とはドイツ語で大晦日の意味らしいが、こういう素敵な イベントを教えてくれたのは、ハープ奏者の内田奈織さんだ。彼女は毎年のようにこのコンサートに出演しており、お誘いをいただいたのが始まりである。昨年は若杉弘さんの指揮で楽しませてもらったが、今回は松尾葉子さんの指揮でドリーブのバレエ音楽「シルヴィア」より『バッカスの行進』から始まった。ことしは、クラリネット奏者の赤坂達三さんをゲストに迎え、オーケストラとクラリネットの饗宴、オペラの名場面 の曲など、心地よい音楽に浸りながら年越しの瞬間を迎えた。特に、後半のヴェル ディやレハールのオペラ曲が個人的にお気に入り。すべてよかったね。華やかで洗 練された演奏を聴かせてくれる大阪シンフォ二カー交響楽団、高らかな合唱が響き渡 るびわ湖ホール声楽アンサンブル、そしてファンファーレ隊。多くの出演者と観客が ひとつになった夜だった。いい年越しをありがとう。(2002.01.03)

縁起のいい正月。

正はあらためる、あらたまるという意味から、年のあらたまる月が「正月」。昔は「むつき」と呼ばれていた。もっとも古い文献では『日本書紀』をはじめ、『万葉集』にも「むつき」の文字があり、正月になると家がなごやかにむつまじく、楽しい日を送るということからいわれたらしい。今では「睦月」(むつき)の字があてはめられている。他にも、一月の別 称には、初春(はつはる)、初空月(はつぞらづき)、年端月(としはづき)、太郎月(たろうづき)、首歳(しゅさい)、献歳(けんさい)、発歳(はつさい)、霞初月(かすみはつづき)などいろいろ。いずれにせよ、正月は松竹梅と縁起のいい年明け。心新たに、春は「勝ち来る」(かち栗)なんてね。ことしも、よろしく。 (2002.01.02)

あざやか水引文化。

鶴・亀・松・竹・梅・宝船・七福神など、めでたい縁起にあふれた正月飾り。鶴は千年の齢と貞節の象徴、亀は万年の齢と夫婦の和合、松は常緑であることから、不老長寿、信義、格調の高いの意があり、竹はたくましい成長力や節の空洞から心身の潔白、正直を示し、梅は酷寒に耐えてみごとな花を咲かせるところから忍耐、努力、剛健を象徴するらしい。人々の繁栄や幸福にまつわる意味をもつものばかりで実にめでたい。特に、純白の和紙に紅白の水引。キリリと結んだ日本ならではの「贈り」の意匠は、実にいさぎよく美しい。用と美を兼ね備え、さらに日本人の心を伝え続けてきた「水引」には、とてつもなく長い歴史がある。水引の発祥は、はるか飛鳥時代、遣隋使小野小町が大陸から持ち帰った朝貢品に遡るらしい。海路の平穏無事を祈って、紅白の麻で結ばれていたそうだ。以来、宮中への献上品はすべて紅白の麻で結ぶ慣例となり、水引文化が始まったとされる。平安時代には、宮中の女性が髪を束ねるのに用いたこよりとして使われ、その後の武家社会においては礼儀作法の確立とともに盛んに儀礼的なものとして用いられるようになり、江戸時代には現代のようなカタチで使われるようになったとされる。水引がまぶしく輝く新たな年の門出。ことしも、よろしく。(2002.01.01)

勇気づけるコピー!

先日、朝刊の声の欄を読んで感動した。それは、かつての広告コピー「めしが、食えて。眠れる場所があって。数少なくても、信じられる友がいて。電車賃も、文庫本も、ある。あと欲しいものは、せいぜいひとつか、ふたつ。財産は、俺だ。俺が、財産だ。立派な正月が、来た。」というものがあったらしい。その投稿者はこのコピーに勇気づけられたという話。それを読んで、コピーライターの自分も凄いと感じてしまった。なんの広告なのか、どこの企業(店)なのか、気になって仕方がないのは僕だけではないだろう。コピーもうまいが、投稿者の文章を借りれば「与えられた現状の中から、できるだけ多くのプラス面 を引き出せば、心の荷物も軽くなるとと教えられた。不況、倒産、失業。何が起こるか分からない世相。大丈夫。朝の来ない夜はない。希望と勇気を失わず、明るい心で新年を迎えたい」。いまの時代にぴったりとあてはまる名文に拍手を贈りたい。(2001.12.29)

お菓子が狙う、おいしい職場?

先日、朝のTV(日本テレビ/ズームイン・スーパー)を眺めていたら、江崎グリコが展開中の「オフィス・グリコ」が紹介されていた。その名のとおり、職場にお菓子の市場を開拓し始めた。はやい話が、あの富山の置き薬のカタチをお菓子に置き換え、職場のOLやサラリーマンの小腹を狙った新商売。職場に、たくさんのお菓子が入ったBOXが置かれ、食べたい人は欲しいお菓子を取り出して、その代金を料金箱におさめる。業者の方が、週に一回、お菓子の補充とお金の回収にやってくる。もちろん、ひとつも食べなければお金は不要。しかし、目の前にお菓子があれば欲しくなるもの。特に、小腹がすく夕方、残業ともなればなおさら。実に、うまいところに目をつけたものだ。お菓子の急接近、独り歩きか。ウーン、朝から感心してしまった。世の中、着眼点を変えれば市場はまだまだありそうだ。 (2001.12.27)