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太陽に負けない明るさがいい。夏空に映える元気な向日葵。(07.28撮影)



夕方、烏丸綾小路あたりを練る御輿。

祇園石段下に戻って来た勇壮な御輿。

雨のなかを巡行する綾傘鉾。(07.17撮影)


綾傘鉾の稚児の傘も雨傘に。

祇園祭の醍醐味!山鉾巡行。


雨よけのビニールにつつまれた船鉾の巡行。


宵々山 綾傘鉾(07.14撮影


巻かれる縄の美しさはまさに芸術


いよいよ鉾立て(07.12撮影)




綾傘鉾稚児、結納の儀(07.07撮影)


善長寺町大原神社にて。祇園祭の提灯がまぶしい。
吉符入り (07.01撮影)



京都教育大学のキャンバスに咲く花。ハイビスカスに似た花を咲かす白花底紅の宗旦木槿(日の丸)。茶人宗旦が好んだところからその名がついている。 (07.01撮影)

祇園祭、幕閉じる
きょう祇園祭を締めくくる夏越祭(なごしさい)が八坂神社でおこなわれたと、いまKBS京都テレビ「ニュースきっちん」での報道で知った。そうだ7月31日といえば、である。時間に追われ、行けなかったが茅輪くぐりだ。画面 のなかでは、祇園祭関係者(山鉾連合会役員)をはじめ、一般の参拝者たちは直径2メートルの茅輪(ちのわ)をくぐり抜け、祭が無事に終えられた感謝と、無病息災を祈った。祭は病気が流行しても祭神の蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫であることを示す茅輪があれば、災厄を免れることができるという説話に由来する。今月の1日の吉符入りからはじまり、1ヵ月にわたった祇園祭は幕を閉じたことになる。では、また来年の祇園祭綾傘鉾で逢いましょう。
(2002.07.31)

「傘は人の集まり」
和傘、番傘、蛇の目傘。ふだん着物を着ないと不要と思われるかもしれないが、今年の夏ほど、蛇の目傘が欲しいと思ったことはない。梅雨も明け、炎暑なる日々が続くなか、なぜ今頃と首を傾げる方がほとんどだろうが、話は祇園祭の山鉾巡行の日まで遡る。そう、当日、雨に見舞われた時、綾傘鉾といいながら裃を着た役員やお伴が差していたのは洋傘。ふだん使っている紳士用、ビニール傘、折り畳み傘など、それぞれバラバラの傘の差していた。あれほど当日の衣装と似合わないものはないと思ったからだ。他の山や鉾たちはちゃんと揃えた和傘で統一。見ていて、雨の日だからこそ映えていた。綺麗だった。来年までには綾傘鉾も用意しなきゃと思う。ところで蛇の目傘といえば♪雨あめ降れふれ母さんが…という歌を思い出す人も多いのではないだろうか。私が小学校に入学した頃、学校の置き傘は蛇の目傘というか柿色の番傘だった。講堂に続く廊下の天井近くに綺麗に並ぶ傘置があったことを思い出す。自分の名前が入りの傘だ。番傘とは、商家などで人に貸し出したりするのに紛失防止のため、家紋や屋号の他に番号を入れたところからそう呼ばれるようになったといわれる。ほとんど粗製の雨傘がだっただろう。上物の傘雨は、中心の部分をロクロというそうだが、そのロクロと外周に青土佐紙を張り、中間部分には白い紙を張って、それを蛇の目と呼んだそうだ。でも、小さい子供にとってはその傘の重さは苦痛のなにものでもなかった。しかし、傘を開いた時の匂いと音は今でも覚えている。あの時代からも西洋文化に染まっていった日本、洋傘がかっこいい(軽い・スマート・便利・おしゃれ?)存在となり、いつの間にか蛇の目傘をあまり見かけなくなった。雨量 の多い日本では、撥水性のすぐれた丈夫でしかも形崩れのしにくい和傘がいちばん。特に、和装姿の日本人にはやはり和傘だ。そういう良さがわかる年齢になったのか、いやそういう状況になったから必要性とともに職人たちの技と文化の見事さに気づくことができたのだろう。ところで、余談だが『「傘は人の集まり」といったのは前原光栄商店の故前原裕司だそうだ。職人たちが集まって傘ができ、「傘」という漢字にも「人」という字が集まる…』。7月20付の日経流通 新聞に掲載されていた記事「匠の傘ネットで開く」のなかで紹介されていた文章だ。うまいこと表現するなとつくづく感心した。(2002.07.29)

夏は向日葵。
炎暑の夏、太陽の下で、黄金色の明るい大きな花を堂々と開く向日葵を見ていると「元気」「陽気」といった言葉が浮かんでくる。名の由来は、太陽に向かってまわるというところからついたそうだが、実際には、太陽を追って向きを変えるのは花が咲くまで、蕾が出る茎と葉の時までだそうで、まぶしい花が咲く頃は動きを止めるそうだ。向日葵といえば、ゴッホの絵や映画『ひまわり』を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。太陽のように明るい向日葵こそ、やはり夏の花だ。(2002.07.28)

勇壮な神輿。
本日の夜、祇園祭の還幸祭が営まれた。還幸祭とは神幸祭(17日)四条寺町のお旅所に迎えた八坂神社の神霊を再び同神社へ戻す神事だ。午後5時から中御座、東御座、西御座の神輿三基が、お旅所を出発。それぞれに氏子地域を練って歩いた。 ここ四条烏丸あたりでも午後6時過ぎに神輿が「ほいと、ほいと」の掛け声とともに姿を表わし、沿道は人ざかりとなった。祇園石段下、午後10時30分頃には神輿が戻ってきた。 神輿を高く揚げて揺さぶる「差し上げ」や、神輿を回す「差し回し」を披露し、暑さを吹き飛ばす「ほいと、ほいと」の掛け声とともに神輿に飾るようらくや鈴の音が京の街に響いた。いよいよ祇園祭も終盤を迎え、残す行事もあとわずかとなった。(2002.07.24)

「大暑」
きょうも暑かった。外出が億劫だった。それもそのはず、本日は一年で最も暑いといわれる「大暑」にあたる日。京都気象台の発表によると、今シーズン最高の36.8度を記録したそうだ。照りつける強い日差しは痛いほど皮膚を刺激する。出かける時は帽子が手放せなくなった。先日、買った扇子もカバンに入れなきゃ。ネクタイのスーツ姿なら汗の大洪水でびっしょり。職場ではだらしないがTシャツやポロで過ごすのがいちばんだ。クーラーの効いた部屋から外を眺めれば、すっかり真夏の光景になった京が映る。暑さにも負けず、頑張るしかないか。(2002.07.23)

ヘッドライト昼間点灯?!
最近、昼間でもヘッドライトを点灯して走るタクシーやトラックが目立つ。あくまでも交通 事故防止が狙いだそうだが、なんだか今ひとつ不自然な感じがするのは私だけだろうか。運転していて点灯した車が目に入ると「思わずパッシングしてライトがついてますよ」といいたくなってしまう。パトカーや救急車といった緊急の車だけにしてもらいたいものだ。かつて自動二輪を乗っていた頃は「いちはやく気づいてもらうため」という意識から常時点灯させて走っていたのを思い出すが、車の昼間点灯はどうかな?バイクとおなじようにタクシーやトラックも車の存在をいちはやく知らせることは大事だが、逆に二輪車の存在が目立たなくなるのではと心配してしまう。ここ京都でもタクシー会社や運輸会社が率先して取り組んでいるが、「常時点灯は対向車にとってまぶしい。かえって危険では」という意見もある。運転手の安全意識向上で、事故防止にどこまでつながるか注目したいところだ。それにしても、マナーが悪い車がよく目立つ。緊急の車が迫ってきてもなかなか道を譲らないドライバーも多い。大切な命がかかっているというのに困ったことだ。誰もがセフティドライブで交通 事故のないことを願いたい。(2002.07.22)

夏休み始まる。
きょうは「海の記念日」。資料によると、明治天皇が1876年(明治9年)の東北地方巡幸に際し、軍艦に戻らず、灯台巡視船明治丸で青森から函館を経て、7月20日に無事横浜に帰着されたことにちなんで、設けられたそうだ。海運の重要性を再認識しようというものらしい。ま、それはさておき、ついに梅雨も明け、子供たちにとっては、いよいよ楽しい夏休み。長い休みと思っていても、あっという間に過ぎてしまう。宿題も忘れて、思いっきり元気に遊ぼう。こちとら、まだ山積みになったレポートと試験用紙で、成績つけが残っている。トホホホ…。はやく片づけて、こちらもいい夏にしたいものだ。暑さにも負けず、頑張るぞ。(2002.07.20)

スタミナミタス。
明日は土曜日だけじゃなく、土用の丑の日。そう夏バテを防ぐスタミナ源として鰻を食べる日。いつ頃からかといえば、江戸時代末期、本草学者であり、蘭学者として名高い平賀源内が、ある鰻屋に看板を頼まれ「今日は丑」と書いたのが評判になったからだといわれている。彼こそ名コピーライターだったみたいだ。個人的には苦手で、蒲焼きも鰻重もパスしたい。鰻さんゴメン。他のもので、スタミナミタス。(2002.07.19)

木槿(むくげ)
今月のはじめ、京都教育大学で撮影してきたハイビスカスに似た花は、木槿(むくげ)だった。今週も授業の帰りに見ると、次から次へと白い花を咲かせていた。私が知っている木槿は、紅紫色や淡紫色、白色だけで、まるで日の丸のように、白のまんなかが紅いのは初めてだった。木槿は朝開き、夕方にしぼむ一日花で「槿花(きんか)一日の栄」と、栄華は長く続かないたとえに使われる。先月、真っ赤に燃えた韓国の国花である。アオイ科の中国原産の落葉低木で、根元で枝分かれしてまっすぐ伸び、たくさんの花をつける。7月から9月にかけて咲く。日本には平安時代に中国から渡ってきたといわれる。茶花としても愛され、茶人宗旦が好んだ白花底紅のものには、宗旦木槿の名がついている。(2002.07.18)

雨の巡行。

17日の朝、6時過ぎはまだ雲っているだけだった。2基の傘鉾を組み立て、裃に着替えたところまではよかったが、いきなり雷雨を伴った荒天となってしまった。すぐに止むだろうと思っていたが、8時20分、雨傘片手に町内を出発することとなった。祇園祭のクライマックスともいえる山鉾巡行なのに、とても残念だ。それよりも大事な綾傘鉾にビニールをかけていなかったことに心が傷む。雨に煙る山鉾巡行はやはり寂しいものがある。浴衣姿の囃子方はずぶ濡れで寒かったことだろう。来年からは雨対策をしっかりしなきゃと、つくづく思った。雨は三条河原町あたりまで降り続いた。その後は晴れ間の下を進む巡行となった。15番目でスタートしたものの、12時50分には無事巡行を終え、町内に戻ることができた。(2002.07.18)


本日、綾傘鉾巡行。
朝6時30分、鉾の準備にとりかかる。着替えを終えた7時30分頃、雨がパラつきはじめた。すぐに止むと思っていたが、9時になっても止まず、雨に打たれながらの巡行となった。雨は河原町三条あたりで止み、その後は回復した天気の下で無事巡行できた。すべてに感謝。後片づけでダウン状態。
この話は、また後日ということで。(2002.07.17)

宵山といえば、日和神楽。
台風に気をもんだ前日とは一転して、きょうは天気のいい宵山を迎えることができた。わが綾傘鉾も昼過ぎから昨日外した駒形提灯の屋根の取り付けから再び鉾飾りを始めた。夕方になるにつれ、人出も多くなり、綾小路通 は人の波で埋まった。毎年、鉾の魅力もあるが、宵々々山からおこなっている「棒振り囃子」を目当てに来る人も多い。今夜、NHKのハイビジョンテレビが中継に来るというので会場は例年より盛り上がっていた。そういえば、きょう関西テレビも来てくれ、大原神社で取材を受けた。実にありがたいことだ。午後10時になると、提灯を先頭に、囃子方とともに四条通 寺町のお旅所まで明日の巡行の天気と無事を祈ってお参りする「日和神楽」に出掛けた。個人的には、祇園祭の醍醐味がここにあるといっても過言ではないくらい魅力ある神事だ。11時過ぎかラチと呼ばれる囲いを外し、巡行に出られる用意。毎年、深夜1時過ぎ頃までかかる。明日はいよいよ山鉾巡行だ。おやすみ。(2002.07.16)

気になる台風。
こんやは宵々山というのに、台風の接近で各山鉾町は大変。先ほど隣りの鶏鉾や月鉾を見てきたら、駒形提灯や懸装品などを取り外していた。大切な文化財を痛めたら大変と、関係者は必死だ。強風でケガ人なんか出たら取り返しがつかない。飾りつけられた綾傘鉾も、すっかり裸になり、テントもはずし、神社境内の飾り付けも片付けた。万全とはいえないが、できる限りの対策をとった。深夜零時過ぎに完了。どうか接近しないで、明日からまた快晴になることを願いたい。それにしても今年ははやくから台風がよく来るなぁ〜。(2002.07.15)

鉾建て始まる。

四条通りで朝はやくから作事方の出入りが激しい。鉾が建つ付近では、車止めがおこなわれ、収蔵庫から持出された立派な桂木が通 りに並べられていく。今年は、台風6号の影響もあって小雨がぱらつく中での作業となったが、各鉾町の人たちとっては心待ちにしていた日である。次から次へと必要な部材が並べられ、鉾の土台となる部分から組み建てていく。釘は一切使わず、大量 の縄で組み上げ、しっかりと固定させていく。巻かれる縄の美しさは見事で、まさに芸術的ともいえる。こうして四条通 りや室町通、新町通で大きな鉾が建ち始めると、町中はだんだん活気づいて祇園祭モードはさらに高まっていくのである。ちなみに綾傘鉾は交通 規制の関係で毎年14日に鉾建てをおこなっている。そう、今度の日曜日。よろしかったら見学やお手伝いにどうぞ。(2002.07.10)

気になる台風の目。
真夜中に大阪から帰ってくると、台風6号が日本列島に接近しているというニュース。明日はいったいどうなるのだろうか。梅雨らしい天気も少なく、雨もあまり降らない今年の夏は水は大丈夫なのだろうか。台風は来て欲しくないが、雨量 だけは確保したいと都合のよいことばかりを考えてしまう。そういえば、子供たちにとっては学校が休みになるということから、「台風おいでおいで」と勢力や被害の怖さを知らぬ まま歓迎しているところがある。時代は変わっても、休校を願う子供心は変わらないみたいだ。どうか、日本列島に上陸しないことだけを願いたい。(2002.07.09)

綾傘鉾「社参の儀」
稚児ら巡行の安全祈願

祇園祭の山鉾のひとつ、綾傘鉾の「稚児社参の儀」が7日、京都市東山区の八坂神社で営まれた。真夏のような日差しのもと、稚児6人と保護者、 綾傘鉾保存会(京都市下京区綾小路通室町西入ル善長寺町)の役員ら約20人が祭りの無事を祈願した。◇稚児は17日の巡行で神の使いとして2つの傘鉾を先導する。午後2時、巡行当日と同じ化粧をし、金色の烏帽子や狩衣衣装を身につけた稚児たちが参拝。本殿で玉 ぐしを供え、真弓常忠宮司から稚児と認められる宣状を受け取った。◇続いて「お千度の儀」を行った。一行は汗を流しながら本殿を3周し、巡行の安全を祈った。◇今年の稚児は次のみなさん。▽植村尚夢(5)山科区▽太田翼(5)右京区▽大西諄也(6)京都府久御山町▽逵亮太(5)右京区▽西澤一(4)中京区▽吉見祐亮(7)北区(7/8付 京都新聞)

本日、稚児デビュー。
朝10時過ぎ、黒の羽織袴姿に着つけてもらった。きょうは祇園祭綾傘鉾の稚児が八坂神社で、結納の儀と、社参の儀がおこなうためだ。1年ぶりに衣裳に袖を通 すと、馬子にも…じゃないけれど、それらしく保存会の役員に見えてくるから不思議だ。気も引き締まる。やはり日本人はきものが似合うみたいだ。13時45分から八坂神社の境内にある常盤殿で結納の儀が始まった。それまでに稚児になる子供は生まれて初めて化粧をしてもらい、稚児衣裳に身を包み、頭に金色の烏帽子をつける。黒の略礼服姿の男親に対しては、本番に備えて儀式の説明をおこなう。いざ、始めてみるとどこの親も緊張する瞬間だ。毎年、幼稚園の年長から小学校1年生くらいの男の子6人が稚児役に推奨される。年齢的にも可愛い子供だけに、親の躾けというか指導によってダラダラしてしまうか、ちゃんとおこなえるかが左右する。その後は、本殿にお参りし、神前で本日より祇園祭山鉾巡行の日まで稚児という大役をいただく。神からの杯を受けることになるのだが、口に近付けるのが精一杯である。なかには神酒といえ、匂いだけで口に運べない子もいる。昨年は雅楽の音でびっくりして泣きだす子もいた。でも、最後に名前を呼ばれると元気に返事する稚児たちの姿を見て、17日の本番も大丈夫だと思った。無事にすべての儀式が厳粛にとりおこなわれたことが、なにより嬉しい。(2002.07.07)

あすは七夕。
七夕を「たなばた」と読ませるのは、中国の古いいい伝え「織女伝説」によるものらしい。天の川の東側にいる織女星と西側にいる牽牛星は、愛し合っているけれども、普段は逢うことができず、年に1回、7月7日の晩にだけデートすることが許されているという伝説。ところで、「たなばた」というのは、もとは布を撮る機のことで、その機に棚(たな)がついていたので「棚機」と呼んだといわれているが、この織女星は、いつも機を織っていたので、「棚機津女」(たなはたつめ)とか「棚梯星」とか呼はれていました。そこから転じて、年に一度の蓬瀬の日、七夕を「たなばた」と呼ぷようになったといわれている。ちなみに、七夕祭の起こりは、この織女星がたいへん上手な織り手であることにあやかって、この星を祭って祈ったことによるらしい。機織りだけではなく、どんな技術もうまくなる、字も上手になるといって、7月7日の早朝に、朝露で墨をすり、短冊に詩や短歌を書いて竹の枝に、つるし、庭先に飾ってはこの星に供えたといわれている。さて、どんな七夕になるのだろうか。個人的には、こんや高校時代の仲間7人と先生を呼んで一緒に食事をした。こちらは30年ぶりに逢う歓びがあった。同級生って、外見は変わっていても、いつまでたっても昔の面 影や性格を残しているものだ。うれしいね。
(2002.07.06)

切れて上ル、気分下ル。
暑い暑いと思っていたら、きょうは34度を記録したと夕方に乗ったタクシー運転手がいっていた。いよいよ本格的な夏の到来か。そういえば大型で非常に強い台風5号が沖縄に北上したとテレビでニュースが流れていた。でも、私にとってはもっと暑かった。というのは、我が愛車が急にバッテリー切れで動かなくなったからだ。用事を済ませ、駐車場に戻り、いざ帰社と思いきや、クルマがうんともすんとも返事しない。嘘やろうと思いつつ再びキーを差し込み、スターターをまわすが反応なし。諦めてJAFに電話すると40分からい待ってといわれ、近くの喫茶店で時間を潰す。30分くらいに来てくれてようやく動いた。そのままいつものクルマ屋さんへ直行した。春にバッテリーは替えたとこなのになぜ?と不安と不満を抱きながら点検修理に出した。夕方、クルマを取りに行ったが、本当にこれで大丈夫なのか。部品代5千円を払ったんだから、もう二度と止まってくれるなよな。動かないクルマほど厄介なものはないぞ。昔のクルマならギアを戻し、手で押せたの。あぁ、ほんま暑かったな。(2002.07.04)

なぜ、朝の連ドラ?
私は毎朝7時には起きる。前の晩、いくら遅く眠りについていても7時にはベッドから出る。よほど眠たい時でも「おはよう」といってテレビをつけ、新聞に眼を通 す。そして行動に移すことになるのだが、7時30分になるとBSのNHKで朝の連ドラ(連続テレビ小説)を見ることが習慣づいている。別 に、たいして面白い訳でもないのに気がつけば画面を眺めている。いつ頃だろうか、曖昧な記憶によると数年前からだ。それまで何の興味もなかったのに、なぜか自分でも不思議で仕方がない。平和な悩みだ。そこに登場するヒロインに惹かれているわけでもない。ストーリー展開が気になるわけでもない。なぜなんだ?昔なら全然興味がなかった連ドラなのに、ついつい見てしまう。そして気がつけば、半年があっという間に過ぎてしまったことに気づく。ではなぜ、見るのかというのを自分ながらに考えてみた。1.オープニングの曲に誘われてしまう。(気に入った曲ならなおさらだ)2.話題にのぼる連ドラはチェックしておかなければという気から。3.連ドラによって知らない世界がみられるから。4.ナレーションの魅力に惹かれて。5.さまざまな人間ドラマだから。6.時計がわり…。新人のフレッシュな演技?はともかく、それを支えている俳優さんや女優さんに安心感を抱いているのかも知れない。いまの朝ドラ「さくら」が始まった頃、知人からメールで「さくら見てる?」と届いた時、私はてっきり春の桜だと思い 「どこどこの桜は七分咲きで満開まぢか。キレイですよ」と返事したら、NHKの朝ドラの「さくら」のことよって笑われた。ちょうどその頃、私はまだ見ていなかった。3月いっぱいで終わった「ほんまもん」(ヒロインは高校卒業から28歳までの姿を演じてた)でもう飽きたと感じていたからだ。だが、1週間遅れでまたもや見るようになっていた。今度は23歳の日系女性の来日して過ごす1年間を描いたドラマだという。かつて「おはなはん」などは生涯を描き、若い女優の老け役は定番だったのに。放送も半年クールで完結となったいま、日常の喜怒哀楽ばかりを追うドラマじゃ、視聴者はみんな逃げていくのではないかと思う。目先の面 白さばかり追う世の中かもしれないが、多くの人が人間ドラマの1コマをみてどこかで安心したり、納得したりしているのではないだろうか。そんな気がする。(2002.07.03)

吉符入り。
きょうから7月。今月の異称として、文月、七夜月、親月、相月、蘭月、涼月、冷月、桐月、否月、秋初月、初秋、孟秋、首秋、上秋、早秋などがある。はやくも秋が登場するのは旧暦思想の関係で、かつては秋の初め月とされていたそうだ。ここ京都にとって、7月といえば、やはり祇園祭の月。きょう1日は「吉符入り」といって、町内で八坂神社のお払いを受けて祇園祭の始まりとなる。ここ綾傘鉾の善長寺町でも朝9時30分から大原神社で厳粛に執りおこなわれた。他所の人から見れば、お笑いになるかもしれないが、とにかく仕事が手につかなくなってくる。日に日にお祭りモードが高まっていくのである。うれしいけれど、やや焦りを感じてしまう月の始まりなのだ。(2002.07.01)