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日々の原稿に感謝する版下供養。 (08.29本能寺にて)


元ちとせの母校にて (08.26撮影)


奄美大島のハイビスカス(08.25撮影


アダンの実 (08.25撮影)
















初の挑戦、奄美大島の海中撮影。(08.24撮影)



向日葵(08.14撮影)


八木町花火大会(08.14撮影)


太陽に負けない明るさがいい。夏空に映える元気な向日葵。(07.28撮影)



 

原稿感謝の日。
コンピュータの発達で、最近では版下というものがほとんど姿を消してしまった。新聞広告や印刷物の入稿はMOやフロッピー等によるデータそのものを渡す。コピーライターが原稿用紙に文字を書く、デザイナーが紙に絵を描くといった本来の手作業より、マウスとキーボードを使って機械を操作する作業が多くなった。しかし、クリエイターたちがモノを創り出すプロセスはそれぞれ違っても、そこには必ず原稿というものが存在する。絵コンテやフィルムなどもそうだ。そんな日常の原稿に対して、感謝する版下供養(原稿感謝の日)が、きょう寺町御池にある本能寺でおこなわれた。主催は京都広告懇話会で、ことしで18年を迎えるというから凄い。私はグラフィックデザイナーの田積司朗さんに誘われて、その法要と懇親会に参加させてもらった。この1年の原稿に感謝をこめて、印刷会社、広告代理店、デザイン会社などの関係者約90名が手を合わした。(2002.08.29)

ファインドアイ展に出品。 きょうから京都文化博物館で、我が京都ファインダー倶楽部の写 真展「第7回ファインド・アイ展」が始まった。この写真大好き集団は、医者、薬剤師、お坊さん、仏具屋、京菓子、鮒寿司などの社長さんや、大学の先生といった多彩 なジャンルの人がメンバー。とにかくユニークな存在だと思う。私も今年の5月、三和町大原神社でおこなわれた大祭の写 真を出品した。これは写真家の溝縁ひろしさんに大変お世話になったテーマ「素顔の日本」として、旧ソ連のキルギス共和国の美術館で展示される作品の一部だ。日本の、京都の伝統文化の奥深さを感じてもらえたらと思った写 真3点。お時間のある方はぜひどうぞ。こんどの日曜日、9/1まで。(2002.08.28)

元ちとせの故郷。
奄美大島の瀬戸内町に嘉徳(かとく)という人口5千人足らずの海辺の集落がある。「ワダツミの木」や「君ヲ思フ」でヒットを飛ばしている元ちとせの生まれ育ったところだ。彼女の通 っていた嘉徳小学校(現在は休校中)に立ち寄ってみた。当時は全校児童4名で、全員が親戚 という 。1人で入学式、1人で卒業式。水泳の授業は近くの川。そんな環境で育ち、母親の勧めで中学1年のときから三線を習い始め、めきめき才能を発揮していった。15歳で奄美民謡大賞新人賞を受賞。1996、高校生は初めての同大賞を獲得した。同年、鹿児島県民謡王座決定戦では「嘉徳なべ加那節」で青年の部優勝を果 たしたという実力の持ち主。元ちとせを筆頭に奄美の歌手が次々と誕生している。同じ柳の下に彼女のようなドジョウはまだまだいるはず。出身者の今後の活躍をおおいに期待したい。(2002.08.26)

ダイビングの楽しさ。
1年ぶりの潜りに、どこかで緊張していたと思う。同じタンクをつけていても仲間でいちばんはやく酸素をつかってしまう私だけに、毎回、なんとしても時間を伸ばせたいと思っている。でも、水中に入ると人一倍興奮するのか、毎回いちばんに浮上することになる。常の運動不足なのか、呼吸の仕方に問題があるのか。わかっているのだが、これだけは本数を多くしなければなかなか実現しないみたいだ。でも、そんなことより、他の人以上に海のなかで感動を覚えればいいと、わりきるようにしている。とはいえ、もっともっと長く魚でいたいものだ。水中メガネとシュノーケル、フィンの3点セットさえあれば、素潜りが楽しめる。奄美の海は深さに関係なくどこもきれいだ。加計呂麻という離島に渡って、海の散歩を楽しんだ。夕方からは浜辺でバーベキュー大会。仲間が釣ってきた魚を刺身や焼き魚、味噌汁にして沢山頂戴した。牛肉や猪の肉もいっぱい焼いていただいた。流木を集めて、キャンプファイアに挑戦したが、いまひとつ火は大きくならなかったが楽しかった。見上げれば星が降ってくるほど大きく輝いていた。月が昇り始めると、その光が水面 に映り、とてもロマンチックだった。そこをカヌーで漕いでみると、まるで詩人になったような気がした。その後は泊まりのペンションで盛り上がった。最高の夜だった。(2002.08.25)

初の水中写真!
笠利でダイビング。船で湾を出て水深25メートルのダイビングスポットへ連れて行ってもらった。海の中へ入ると、不思議なくらい落ち着く。その割りには呼吸づかいが荒いのはなぜだろうか。答えは簡単、そこは美しいサンゴ礁 と魚たちで、あまりにも感動の世界で興奮してしまうのだろう。自分も魚になった気分で海底を散策していると、水中であることを忘れてしまうほどだ。今回の愉しみは、水中で珊瑚礁 と熱帯魚の写真を撮ることだ。最近はデジタルカメラという便利なものがあり、そのプロテクターをつければ誰でもキレイに撮ることができる、そう思ってすべてを用意した。いざ水中で写 してみると、期待どうりちゃんと写っているではないか。初の挑戦だが、水深25メートルでもきれいに写 すことができた。うれしい。知らない魚はあとで調べればいいや、と思いつつ、シャッターを切った。仲間のダイビング姿もカメラに収めた。自分もとってもらったが、写 真うつりが悪いのはやはりモデルのせいか。ショック。深い所では太陽の光が届きにくいため、フラッシュの光量 がもっとあればと思ったが、とにかく面白い。楽しい。もっと潜っていたい。いっぱい魚の写 真を撮りたいと思った。自分で愉しむ分ならこれで充分かもしれない。カメラ大好き人間にとって、念願の水中撮影ができただけでも興奮してしまう。バンザーイ!おっといけない大事な酸素を無駄 づかいしないようにしなくっちゃ。(2002.08.24)

伝統行事に感動。
先週末から、奄美大島ヘ行って来た。今回もダイバー仲間の上田真三さんと大嶋宏季さんの3人組で、伊丹空港から飛んで1時間半。そこは美しい自然がいっぱいの南の島だ。8月23日、奄美はお盆で各家では家族や親戚 が集まり、ご馳走をいっぱい座敷きの食卓に並べ、ご先祖さまをお送りする日だった。毎回、お世話になっている前田紬工芸の前田豊成さんの実家を訪れ、龍郷のお盆を体験させてもらった。目の前の料理を食べないとお墓にには詣れないといわれ、すっかりご馳走になってしまった。蛇三線で島歌も聞かせてもらい、一気に地元の人間になれたような気がした。その後、提灯をもってみんなでお墓へ詣った。立派な御影石の大きなお墓に驚き、前田家のご先祖に合掌していたら、いきなり家族は何人と尋ねられた。それは線香の数を意味していた。ご先祖さまを大事にするという素晴らしさがここにはしっかり残っている。家族を大切にする、血縁関係を忘れない、今の自分があるのはすべてご先祖さまのおかげである。当たり前の話かも知れないが、本土というか現在の日本人が忘れてしまった、かけがえのないものが、ご先祖という信仰のなかにあり、ご一緒させてもらった喜びをひとしお感じた。ここは塩で浄めるのではなく黒糖焼酎だった。(2002.08.23)

初優勝
第84回全国高校野球選手権大会最終日は、高知の明徳義塾が智弁和歌山を7ー2で破り、初の栄冠を手にした。おめでとう!それにしても、どのチームも頑張った。(大会委員長みたいな発言だ)いい試合で観戦者を堪能させてくれた。白球を追う姿、ひたむきな球児たちの真剣な表情、光る汗、さわやかな笑顔、悔し涙…。できることなら、どちらも勝たしてあげたいが、勝負の世界だけにどうしょうもない。最後まであきらめずにやることの大切さをことしも教えてくれた。そして、球児たちの夏が終わった。(2002.08.21)

夏の終わり?
盆休みが終わってから、すっかり過ごしやすくなった。まだまだ残暑はあると思うが、束の間の涼しさを楽しむとするか。それにしても、ことしは30度を超す真夏日の連続だった。炎天下で繰り広げられている高校野球も、いよいよ明日、決勝戦を迎える。8月も20日までくると、特に暦の流れをはやく感じてしまう。かつて夏休みの宿題に追われていたからだろうか。いやいや今でも仕事という宿題を持ち続け、こちとら年中8月31日の気分だ。話を戻そう。8月の終わりに近づいたとはいえ、再び残暑となり、例年のように暑い日が続くと予想するのは間違いだろうか。それとも、ことしは天候をはじめとする自然界もかなり速いスピードだけに、秋の訪れも少し早いのかもしれない。(2002.08.20)

八木町花火大会。
8月14日といえば、恒例八木の花火大会。1947年から戦没者の慰霊のために始まったといわれるこの花火大会はことしで56回目を迎えた。わが町の打ち上げ花火もきれいだが、その前に大堰川に千個ほどの灯ろうが流されるのが実に美しい。お盆に帰ってこられたご先祖さんを送るひととき。それがおわれば、いよいよ打ち上げ花火。町内の人は朝から陣取った河川敷の場所もぎっしり満員、八木大橋の上でも通 行不可の状態で大勢の人々が座り込んで花火鑑賞。町の周辺道路でも車を停め、アウトドアライフ感覚で花火を満喫する人たちで賑わっていた。大玉 やスターマインドが夜空を彩ると、花火の大きな響きとともに大きな歓声と拍手が起こっていた。町のなかは、駅前通 りの栄町筋と本町筋にかけて並ぶ夜店も、多くの家族連れや若いカップルで賑わっていた。八木町が一年でいちばん熱く燃える、夏の風物詩である。(2002.08.14)

お盆休みモード。
先週末からお盆の帰省ラッシュがはじまった。ニュースによると新幹線も飛行機もいっぱいで、主要幹線の道路も凄く渋滞している。誰もがいい盆休みにしたいと、東へ、西へ移動する。盆と正月は必ずといっていいほど、この混雑する映像が日本の歳時記のようにニュースになる。世間はすっかりお盆休みモード。今朝の交通 量も少なく感じた。かつてJRの広告キャンペーンで「日本を休もう」というのがあったのを思い出す。土産片手に、帰省されるみなさん、くれぐれも事故のないように。(2002.08.12)

暑さに負けるな!

連日、甲子園では球たちの熱戦が繰り広げられている。テレビで観ているだけで、その興奮が暑さとともに伝わってくる。照りつける太陽の下で、白球を追う球児たち、スタンドを埋め尽くした応援の観客たち。何も真夏に開催しなくてもという人もいるだろうが、やはり光る汗、真剣なまなざし、一生懸命にプレーする姿を観ていれば、これぞ日本の夏。炎天下の観客にとって敵は猛暑、炎暑、酷暑だ。帽子とタオル、できれば長袖、必勝うちわ。水分補給は持参した飲み物、それとも甲子園名物「かち割り」?恐いのは日焼けだけじゃない。かなり体力を消耗するはずだ。くれぐれも熱中症にかからぬ ようご用心を。こちとら、涼しい部屋でビール片手に声援を送るとするか。(2002.08.11)

酷暑もガンバル
きょう8日は立秋。暦の上では、もう秋となる。だがこの暑さ。連日、朝から照りつける太陽のおかげで34.8度とか。昼間、仕事でネクタイ着用スーツに着替えたら一瞬にして汗だく。やはり夏は軽装に限る。猛暑、炎暑、酷暑はいつまで続くのだろう。とにかく強い意志と忍耐で頑張らねば。来週になれば、お盆休みに入るところも多い。高校野球も始まったことだし、涼しい部屋でテレビ観戦もいい。いやいや、夏ならではこの暑さを愉しむにはやはり郊外。日射病や急激な日焼けに注意して、好きなことで思いきり汗を流すのもいいな。さて、休みに入る前に片づけなきゃ。ところで『頑張る』の語源は、「眼張る」から出たとするものと、「我に張る」からといぅ説とがあるらしい。「眼張る」は、古くは宝暦二年(1752)の『倭仮名在原系図』に、「よい物は見つけ次第ぢや、随分と眼ばれ眼ばれ」とあり、目を凝らして見るという意味だそうだ。この意味から、確かめて覚えておく、見張りをする、じっと動かない、屈せずにやり通 すと転義したもので、「頑張る」の文字も、既に18世紀に使われており、今でも盗人仲間の穏語では、見張り番を「眼張り」と呼ぶとか。一方「我に張る」説というのは、古くは慶安3年(1650)の『かた言』に「我をおらぬ 者を、がにはる物(者)…」と、強情者の意で使われているが、このガニハルがガンバルに転訛したというもの。ところが、もう一説、この「我に張る」からのガンバルと前述の「眼張る」とが混成して、現代の「がんばる」になったとする説もある。ともあれ、何事も耐えてやり抜いた後は、充実感に包まれ、とても快いものだ。(2002.08.08)

ヌード雲?!
大空に向かって、もくもくとわき上がる入道雲。頭部が坊主の頭のように丸く、むくむく盛り上がっていく形からいうらしい。積乱雲の俗称。見ているだけで盛夏だなと感じる。暑いから雲も裸になる、だからヌード雲?!すんません。今朝、出勤する時、蝉時雨とともに青空のなかで見事な入道雲がアイスクリームをつくって笑っているように思えた。猛暑を通 り過ぎ、炎暑の一日のはじまり。みなさま、くれぐれもご自愛くださいませ。(2002.08.07)

夏休み。
毎日、暑い日が続く。まわりでは夏休みをとる人が目立ってきた。あと少しでお盆休みもあることだし、個人的には20日過ぎにと考えている。夏休みといえば「麦わら帽子は…」と吉田拓郎の歌を思い出すが、子供の頃はどうしても宿題という嫌なハードルがあったことを思い出す。あれさえなければ最高だったのにと思ったのは私だけではないだろう。夏休みの宿題も、最初の予定では楽々にクリアできるはずだったが、いつも終わりに必死で片付けていたのが苦い思い出だ。朝のラジオ体操に始まり、午前中の予定表では家で勉強のはずが気づけばテレビばかり見ていた。昼からは水泳。そして帰ってくると、疲れて昼寝タイム。その後は近所で遊び、夕食の時間。夜はもっぱらテレビ。時には見たい番組のため、兄弟でチャンネル争い。庭で花火をしたり、懐中電灯と網をもって魚採りにも出掛けたりしていた。そうそう、よく兄に連れられ、早朝の森林へカブトとりに出掛けたものだ。当時は、カブトやクワガタなど虫籠はすぐにいっぱいになった。実に平和な楽しい夏休みを過ごしていたのだ。さて、大人の夏休みは大好きなことをして過ごすとするか。(2002.08.06)

紙幣のデザイン。
2004年の春から、千円、五千円、一万円の紙幣のデザインが切り替わることが発表された。精巧な偽札が急増していることに、政府ならびに日銀が危機感を強めたことが底流にあると各新聞は報じていた。これらの新紙幣発行は20年ぶりらしい。なかでも、今回の発表で話題を呼んでいるのが、図柄に初めて女性である樋口一葉を五千円札に起用することと、ハイテク紙幣といわれる偽造防止技術だろう。遂に日本も、お札の顔となる肖像画に「女性」が登場する時代になったと思った。千円札に登場する野口英世。この男性のヒゲも偽造されにくい顔として重要な役割を果 たしているそうだ。今度、初めて導入する技術はふたつ。X線を当てると隠された棒状の模様が浮かび上がる「すき入れバーパタン」、きらきらと光の加減で色や模様が異なって見える「ホログラム」。ついでに、従来からの技術も新聞から拾ってみると、紫外線を当てると発光するインク、傾けるとピンク色の模様が現れるパールピンク、傾けると文字や数字が現れる潜像模様や複写 コピーでは再現できないマイクロ文字などがあるらしい。となると、印刷コストも大きく膨らむのだろうなといらぬ 心配をしてしまう。でも、新紙幣による経済効果ってホントにあるのだろうか。ま、財布のなかに飛び込んで来てくれることを夢みるとするか。(2002.08.03)

不快感が走る?!
今日、あるタクシーの屋根についているマークに違和感を感じた。何かと話題を呼ぶタクシー会社だが、今回のデザインだけはやめた方がいいと強く思う。では、どんな形状をしているかといえば、ハートのカタチは従来どうりだが、サイズがかなり大きくなっていて、昼間はピンク、夜ともなると、ハートマークとなかに描かれた二文字が豆球でサインというか、ネオンっぽく光るのである。ただ目立てばいいのか。なぜ、こんなデザインにしたのか、疑問に思っていたら、まわりの人々も違和感を感じているみたいだ。絶対、前の方がよかったのに、残念。大切なファンが逃げ出すまえに、もう一度、考え直して欲しいなぁ。(2002.08.02)

きょうから葉月。
8月は、よく知られている葉月(はつき)のほかに、秋風月、紅染月、仲秋、清秋、木染、雁来月、燕去り月などの異名がある。木々の葉がそろそろ散り落ちる頃なので「葉落月」(はおちつき)が訛って「はつき」になったという説や、田んぼの稲の穂がみごとに張る月で「穂張り月」が訛ったとか、秋を知らせる雁がはじめて渡ってくる月、つまり「初来月」(はつきつき)になったなど、説もいろいろある。これらの和名はいずれも旧暦だから今の9月にあたる。話は高校野球に飛ぶが、昨日で各地区の代表が決定した。8日から47都道府県の49代表校が熱戦を繰り広げる甲子園の夏が始まる。盆休みもある。ファインダー倶楽部の写 真展もある。奄美にも行きたいな。もちろんダイビング。夏をとことん楽しもうっと。(20002.08.01)

祇園祭、幕閉じる
きょう祇園祭を締めくくる夏越祭(なごしさい)が八坂神社でおこなわれたと、いまKBS京都テレビ「ニュースきっちん」での報道で知った。そうだ7月31日といえば、である。時間に追われ、行けなかったが茅輪くぐりだ。画面 のなかでは、祇園祭関係者(山鉾連合会役員)をはじめ、一般の参拝者たちは直径2メートルの茅輪(ちのわ)をくぐり抜け、祭が無事に終えられた感謝と、無病息災を祈った。祭は病気が流行しても祭神の蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫であることを示す茅輪があれば、災厄を免れることができるという説話に由来する。今月の1日の吉符入りからはじまり、1ヵ月にわたった祇園祭は幕を閉じたことになる。では、また来年の祇園祭綾傘鉾で逢いましょう。
(2002.07.31)


「傘は人の集まり」
和傘、番傘、蛇の目傘。ふだん着物を着ないと不要と思われるかもしれないが、今年の夏ほど、蛇の目傘が欲しいと思ったことはない。梅雨も明け、炎暑なる日々が続くなか、なぜ今頃と首を傾げる方がほとんどだろうが、話は祇園祭の山鉾巡行の日まで遡る。そう、当日、雨に見舞われた時、綾傘鉾といいながら裃を着た役員やお伴が差していたのは洋傘。ふだん使っている紳士用、ビニール傘、折り畳み傘など、それぞれバラバラの傘の差していた。あれほど当日の衣装と似合わないものはないと思ったからだ。他の山や鉾たちはちゃんと揃えた和傘で統一。見ていて、雨の日だからこそ映えていた。綺麗だった。来年までには綾傘鉾も用意しなきゃと思う。ところで蛇の目傘といえば♪雨あめ降れふれ母さんが…という歌を思い出す人も多いのではないだろうか。私が小学校に入学した頃、学校の置き傘は蛇の目傘というか柿色の番傘だった。講堂に続く廊下の天井近くに綺麗に並ぶ傘置があったことを思い出す。自分の名前が入りの傘だ。番傘とは、商家などで人に貸し出したりするのに紛失防止のため、家紋や屋号の他に番号を入れたところからそう呼ばれるようになったといわれる。ほとんど粗製の雨傘がだっただろう。上物の傘雨は、中心の部分をロクロというそうだが、そのロクロと外周に青土佐紙を張り、中間部分には白い紙を張って、それを蛇の目と呼んだそうだ。でも、小さい子供にとってはその傘の重さは苦痛のなにものでもなかった。しかし、傘を開いた時の匂いと音は今でも覚えている。あの時代からも西洋文化に染まっていった日本、洋傘がかっこいい(軽い・スマート・便利・おしゃれ?)存在となり、いつの間にか蛇の目傘をあまり見かけなくなった。雨量 の多い日本では、撥水性のすぐれた丈夫でしかも形崩れのしにくい和傘がいちばん。特に、和装姿の日本人にはやはり和傘だ。そういう良さがわかる年齢になったのか、いやそういう状況になったから必要性とともに職人たちの技と文化の見事さに気づくことができたのだろう。ところで、余談だが『「傘は人の集まり」といったのは前原光栄商店の故前原裕司だそうだ。職人たちが集まって傘ができ、「傘」という漢字にも「人」という字が集まる…』。7月20付の日経流通 新聞に掲載されていた記事「匠の傘ネットで開く」のなかで紹介されていた文章だ。うまいこと表現するなとつくづく感心した。(2002.07.29)

夏は向日葵。
炎暑の夏、太陽の下で、黄金色の明るい大きな花を堂々と開く向日葵を見ていると「元気」「陽気」といった言葉が浮かんでくる。名の由来は、太陽に向かってまわるというところからついたそうだが、実際には、太陽を追って向きを変えるのは花が咲くまで、蕾が出る茎と葉の時までだそうで、まぶしい花が咲く頃は動きを止めるそうだ。向日葵といえば、ゴッホの絵や映画『ひまわり』を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。太陽のように明るい向日葵こそ、やはり夏の花だ。(2002.07.28)