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京都中央信用金庫(四条烏丸西北)


男のためのアクセサリー展


鶏頭
秋風が立っても、夏の終わりを惜しむように、
鮮やかに咲く鶏頭。





コスモス
澄みきった秋空に赤とんぼが飛んで、秋桜(コスモス)が揺れる。いかにも秋らしい風景。



彼岸花
田んぼの畦道に燃えるような曼珠沙華 決まって秋の彼岸ごろ、いっせいに咲きだすところから彼岸花。(02.09.22撮影)



創作オペラ「竹取物語」稽古中!(02.09.22撮影)


反核FAXポスター展 (02.09.21撮影)

朝から大事件や!
近くの銀行で男が立てこもり。

朝10時30分頃、銀行に振り込みに行こうと出かけたところ、なんと会社の前、綾小路室町からクルマが停滞していた。3〜4人、警察官がいるから交通 事故かと思っていたら、近所の人が「いま、中信本店が、えらいことになってるでぇ」と事件を教えてくれた。午前10時すぎ、京都中央信用金庫(京都市下京区四条烏丸西北)の6階で、融資を受けていた男(60歳くらい)が、急にピストルのようなものを取り出し、職員4人を人質に金庫に立てこもっているらしい(NHKのニュースより)。慌ただしい歳末に、こんな事件が身近な場所でおきるなんて怖いコワイ。ビジネス街だけに今も凄い人盛りだ。はやく解決することを願う。(2002.12.26)

遊びごころ。
胸に金ぴかのバッジをつけていると、怖い○○ザに思われる日本。だが、つけているのは○○ザだけではない。学生も、ビジネスマンも、議員もつけている。個人よりも、属性が問われる我が国ならではの目印に感じる。えらい肩書きをもつ人は、よほどご利益があるのか、夜の街でも外さない。いやだね。ま、そんな野暮な記章の話はさておき、男のアクセサリーについて話をしよう。
バッジやピンブローチは、もともと男のものだったのをご存知だろうか。スーツを着る機会の多いキャリアウーマンたちが、ビジネスシーンで好んでつけるようになり、今日のようにデザインのバリエーションも豊富になり、ファッション化して女性たちに広まったといわれている。もちろん、今どき性別 じゃない。お気に入りのものを、さりげなくつける。自分のために遊び感覚を楽しむ。おとななら、そんなしゃれっ気が欲しい。
男の指輪といっても、結婚指輪じゃない。キザな奴とか、男のくせになんて捉えているようでは、おとなといえない。指輪の似合う男なんて、なかなか出会えないものだ。私の知っているところでも、ごくわずかで両手の指で数えられる。でも、男は勇気だ。冒険だ。気に入ったデザインなら、理屈なし、文句なし。誰に遠慮がいるものか。たまには機能性より、装飾性を重視すべし。堂々とアクセサリー。あなたが、しゃれっ気のある男なら、ね。
おとなのこだわり。心と体に満足の届かないものは、一切、身につけない。男は中味も大事だが、もっと外見へのこだわり。それは自分の心が要求する心の具現化である。そう、おとなは外見なんだ。遊びごころをなくしたら、人生退屈。おもしろくない。自信をもって、堂々とさりげなく、アクセサリー。かつて幼少の頃、お菓子についていたバッジやブローチに夢中になったように楽しもう。
(2002.12.09)

男のためのアクセサリー展
12/9 mon.〜19 thu.
10:00〜17:00 *土日休
平和紙業株式会社 ペーパーボイス
大阪市中央区南船場2-3-23 
 Tel.06-6262-0902

本場で創作オペラを公演。
我が同級生が団長をつとめる河鹿合唱団(園部町・八木啓団長、団員30名)が、来月3日、本場イタリアのオペラ座で創作オペラ「竹取物語」を公演する。イタリア公演の話は、昨年の夏、団員の奥村清彦さんの元へ突然、舞い込んできた。奥村さんの兄で京都で別 の合唱団を率いる廣瀬義彦さん(宇治市在住)から「演奏旅行の手配会社からカ−ギが日本のオペラの上演を要望していると相談された。河鹿が合唱のパートを受け持ってくれないか」と頼まれた。奥村さんは、こんな田舎町がなぜと驚いたが、兄弟の出身地(八木町)である丹波地域の文化振興や町おこしに役立ちたいという廣瀬さんの思いに共感。団員らは夢のような話と喜び、「こんな機会はないかもしれないと」とほとんどが賛成した。竹取物語は廣瀬さんらの制作。邦楽風のメロディーにのせ、団員らがナレーションを合唱する。翁やかぐや姫などソリスト8人のうち、6人はプロらを招き、2人は団員。市内の合唱団メンバーにも呼びかけ、計62名でイタリアへ渡る。出発を前に、10月6日午後1時と4時半の2回、園部町中央公民会館で公演する。現在、本番に向けて稽古に励んでいる。(2002.09.22)

反核FAXポスター展
世界のグラフィツクデザイナ−による反核FAXポスター展が、24日から大阪国際平和ポスター(ピースおおさか)で開催される。1995年、フランスが大平洋ムルロア環礁 でおこなった核実験に抗議し、パリでおこなわれたデモの先頭を切ったのは150人のフランス人が掲げる「日本のグラフィックデザイナ−たちが作成した反核ポスター」だった。世界の反響を呼んだこれらのポスターは、一人のグラフィックデザイナ−(U.G.サトー氏)が仲間にFAXで呼びかけたもので、1週間のうちにFAXで原稿が寄せられた。それを白黒コピー機で拡大してポスターに仕上げたもの。以後、中国やインド、パキスタン、アメリカ、ロシア等の核実験に対しても反核FAXポスターによる抗議は続けられ、世界各国のデザイナーたちから多くの作品が寄せられている。今回は、そのうち約250点を展示し、核兵器廃絶に向けて、私たち一人ひとりができる何かをことを考える展覧会とした。U.G.サトーを中心に、私も所属する社団法人日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)のメンバーが頑張っている反核FAXポスター展だけに、きょう設営準備を手伝った。かつて京都でも、立命館大学の協力のもとこの展覧会は催され、かなり反響を呼んだ。12月22日まで。(2002.09.21)

展覧会で思うこと。
この連休は、いろんな展覧会を観てきた。大きな美術館もあれば、ホテルやデパート、ギャラリーなど、会場の形態はさまざま。休日ということもあって、いつもより人出は多かった気がする。今年の春、開館した兵庫県立美術館(JAGDAの全国総会と「私の一点展」でお世話になった)なんかは入館まで1時間40分待ちという表示に驚かされた。さすが「ゴッホ展」だ。入れば、人の山。しかも、3、4列も横に並びながら動かない。それだけに作品をゆっくり鑑賞できる状態ではなかった。なぜ、あんな流れ作業的な鑑賞を日本人はするのだろうか?もちろん、ひとつひとつじっくり眺めるのにこしたことはない。しかし、鑑賞の方法なんて人それぞれでいいのではないのか。人の頭ばかり見ていては何も残らないと思う。個人的にはお気に入りのものに鑑賞時間をさくべきだと思う。そのためには、横は2列が限度、飛ばしても見られる順路のスペースが欲しいものである。もう一度、あの作品を見たいと思っても、混乱を防ぐため、もう会場を逆行できない仕組みになっている。違うでしょ、といつも大きな展覧会では思ってしまう。誰もがアートに触れたい気持ちで訪れる会場だけに、もっとゆったりとした気持ちで鑑賞できるように会場側は智恵を絞るべきである。何を観るか、作品のどこを観るか。鑑賞方法は個人の勝手だろうが、入場者はもう少し他の入場者のことを考えるべきだろう。(2002.09.15)

スーラと新印象派
〜光と点描の画家たち〜
岡崎にある京都国立近代美術館へ行って来た。明日(10日)から始まる「スーラと新印象派〜光と点描の画家たち〜」の内覧会に呼んでもらったからだ。 新印象派の創始者として名高いジョルジュ・スーラの作品を眼の前にすれば、その光と輝きに満ちた細かい点描技法に驚かされる。「視覚混合」という科学的法則を応用した新印象主義の手法はシニャックやピサロをはじめとする多くの作家たちに取り入れられ、20世紀美術への道を開いたといわれている。スーラは、31歳という若さで夭折したため遺された作品は少なく、なかなか眼にすることはできない。展覧会として、日本では17年ぶりに開かれるもので、世界各地から集められたスーラの作品をはじめ、シニャック、ピサロ、ゴッホなどの画家、105点の作品が展示されている。その点描の素晴らしさに見入ってしまう、名品の数々。ゆっくりと時間をかけて見る価値ありの画期的な展覧会だ。 (2002.09.09)

「大きな古時計」
小学生だった頃、題名は忘れたが学校で観たウィーン少年合唱団の映画にすごく影響を受けたことがある。その時、みんなで歌う楽しさを覚えたのか、急に仲間を集めて合唱団を作ろうということになった。天使の歌声とはいかないが、子供だけでそのまねをして遊んだ。もちろん遊びの世界だから指導する先生などいない。その時のテキストが、NHKの「みんなのうた」だった。当時は、放送局へ切手と封書を入れて楽譜を送ってもらう方法で、隔月に発行されるテキストを人数分、申し込んでいた。だが、人前で歌う恥ずかしさや仲間が思うように集まらず、あっという間にその遊びは終わってしまった。それでも、個人的にNHKの「みんなのうた」が大好きだったので、楽譜だけはずっと請求して集めていた。そのおかげであの頃の歌はしっかり覚えている。ずいぶん前置きが長くなったが、最近、大阪出身の歌手・平井堅さんが歌う「大きな古時計」が大ヒットを飛ばしている。なんとオリコンのシングルチャートで童謡カバー曲として初めて1位 に輝いている。かつて「みんなのうた」で歌われ、その後、小学校の教材に載り、世代を超え親しまれている歌「大きな古時計」は、アメリカの作曲家が1876年に発表したものらしい。歌詞のなかで登場する百年という数字は原作では90年だったが語呂の関係で百年になったといわれている。あのアニメ映画「ちびまる子ちゃん」でも、この歌を題材にしたものが記憶に新しいが、歌詞どおり126年も「休まず」歌い続けられているなんて凄いし、これからも歌い継がれていくことだろう。平井堅さんがペットボトル片手に椅子に座って歌うプロモーションビデオも何かと話題を呼んでいる。(2002.09.05)

たばこって何?
きょうの日経の夕刊に、たばこ1箱千円で喫煙者6割減少という見出しが目をひいた。記事の内容は、たばこ1箱300円に値上げされると喫煙者の1割がたばこをやめ、千円にすると6割強が禁煙するという調査結果 を厚生労働省の研究班がまとめた。肺がん患者の減少による医療費削減に加え、税収増も1兆円を超え、一石ニ鳥の効果 が期待できるという。果たしてこの値上げ効果は本当にそうなるのだろうか。たばこを吸う行為はまるで犯罪者扱いとなった現在、値上げ設定でどこまで喫煙者や肺がんを減らせるかというより、嗜好品であるたばこだけに、本来の楽しみ方やマナーの強化につとめてほしいと考えるのは、喫煙者の勝手だろうか。意志の弱い私は、いくつになっても税金のかたまりをいつまでも吸い続けていると思う。高校のとき興味本位 でニコチンを身体に覚えさせたのが、すべて間違いのはじまりだったのか。とほほ、やめられない。(2002.09.03)

やればできる。
9月に入ったというのに、まだまだ陽射しは真夏だ。そうそう先月の終わり1週間は、ある学校で夏期集中講議を教えていた。グラフィックデザイン専攻の学生たち30数名は夏休み返上で、デザインの現場を通 じて発想や表現方法を学ぶための授業だった。初日はいきなり大きな声で注意を呼び掛けたため、恐い存在だったかもしれない。何ごとにもけじめが大切であることを知ってほしかったのだ。昼から1時20分から夕方の6時過ぎまでの3時限連続は、学生もしんどいがだろうが、教えるこちらにもキツイものがある。人間にとって集中できる時間って、そんなに長続きはしないものだ。ときたま休憩を入れ、アイデアに頭をひねり、ラフ案をいっぱい出すことにした。その結果 、ひとり3案以上のプレゼンテーションはなかなかユニークなものが目を引いた。全体的にはまだまだ完成度は低いが、ここからツメればいい作品になるものいくつかあった。スーツ姿に身をつつんだ学生一人ひとりの意気込みと真剣な表情がとてもまぶしかった。やるときはやるんだ、強制的な授業では最終的に何も残らない。甘くてもいい、自分で楽しめる方法を身につけることがいちばん大事なんだ。
(2002.09.02)

過ぎゆく夏。
きょうから9月。別の呼び名として、長月、玄月(くろづき)、菊月、祝月、詠月(ながめづき)、菊開月(きくさきづき)、晩秋、季秋、窮秋、残秋、高秋、暮秋などがある。台風一過の澄み切った青空、赤とんぼが飛び交い、そして一雨ごとに朝夕の冷気が深まり、夜が少しずつ長くなるところから長月とか。古来、秋の夜長に中天の月を仰いで詩情を催した詩人はたくさんいる。それほど何かが心に響く季節に突入するのだ。もちろん、そこには風流に感じとれる心がなければ何も生まれないが。ま、暑かった夏にさよならしたいところだが、まだまだ入道雲と付きあう日々が続きそうだ。夏休みも終わった。さ、気をひきしめて行こうか。(2002.09.01)