Copyright(C) 2002.hai
ここだけのはなし2002 バックナンバー 睦月如月弥生卯月 / 皐月 / 水無月文月葉月長月     掲載された記事を許可なく転載することを禁じます



「タンゴdeアロハ展」展示風景


「タンゴdeアロハ展」展示風景


「御室流いけばな展」より

 


三和町大原神社の鎮座千百五十年大祭で
棒振り囃子を奉納する綾傘鉾のメンバー。

日韓W杯こんや開催。
ついに、サッカーの第17回ワールドカップがソウルで開幕した。今日から1ヵ月、暑い闘いの火蓋が切って落とされた。私のまわりでもいるが、サッカー好きにとっては、もう何も手につかにない状態になるみたいだ。なかなか競技場に行くことはチケットの関係で困難だが、テレビ観戦で思いっきり盛り上がろうお考えの方も多いのでは。思えば、1996年の日韓共同開催決定から6年。史上初の2ヵ国共催ということでも注目される大会だ。いずれもにせよ日韓の新時代の幕開けにつながることを誰も望んでいる。1個のボールで広がる世界。その熱きドラマは、こんやの開幕戦から始まった。猛攻をかける王者のフランスと、必死に耐えながらチャンスを狙う挑戦者の初陣セネガル。連覇を狙うフランスの堅い守りから、足を生かした攻撃でセネガルが大会初のゴール。スポーツの世界は何が起こるかわからない。だからこそ、興奮し、感動を覚えるのだろう。みごとな押し込み。アフリカ新鋭に勝利のホイッスル。明日からは日本の会場でも試合が始まる。熱気と興奮につつまれたあ、さわやかな試合を期待したい。がんばれニッポン。くれぐれも睡眠不足だけには注意しなくっちゃ。(2002.05.31)

「タンゴdeアロハ」展
◇第一線のグラフィックデザイナーが手掛けた丹後ちりめん製アロハシャツを紹介する「タンゴdeアロハ」展(京都府、丹後デジタルものづくり研究会など主催)が27日、東京都中央区のワコール銀座アートスペースで始まった。◇丹後ちりめんの活性化と新しい利用法を探るため、一昨年に開発。商品化に向けて消費者の反応を確かめるため、初めて東京で開いた。 ◇会場には、花や魚、キスマークなど自由な発想でデザインした色鮮やかなアロハシャツ約30点が並んでおり、訪れた人たちの目を楽しませていた。作品の販売も。6月1日まで。 (京都新聞・京日記より 5/28付)

最高潮。
夕方からタンゴdeアロハ展のオープニング。東京からJAGDA 副会長の青葉益輝さん、U.G.サトーさん、松永真さん、浅葉克己さん、仲条正義さんなどなど、第一線のグラフィックデザイナーの皆さまがいっぱい来てくれ、最高に盛り上がったオープニングだった。実にありがたい。こんど6月1日、神戸でのJAGDAの総会で再会を約束して、京都組は最終の新幹線で帰ってきたよ。おやすみ。(2002.05.27)

江戸へ参上。
日曜の朝、新幹線に乗って東京へ。ご存知 JAGDA(社団法人日本グラフィックデザイナー協会)のタンゴdeアロハ展の準備のため、京都から4人で向かった。場所は有楽町。着くなり昼メシということになり、ついでに生ビールを注文したところ、生中のはずが大きいジョッキで登場してびっくり。すっかりいい気分になって飾りつけにかかった。夕方6時前にはすべて終わり、また夕食タイム。ほんま、よく食べて飲んでのサンデーだった。 泊まりは、懐しい人形町。ここなら銀座なんてすぐそばだもんね。では、また明日。(2002.05.26)

咲き急ぐ紫陽花。
ことしは春の桜に続き、梅雨の風物詩ともいえる紫陽花にも異変が起きているという記事が先週末の日経に載っていた。そういえば、まだ5月なのに気のはやい紫陽花があちこちで咲き始めている。早咲きの原因は、桜と同じ暖冬で寒の戻りもなかったことや春の陽気で生育がかなり早まったといわれている。紫陽花はやはり梅雨の季節、雨の似合う頃に咲いてほしいもの。梅雨の合い間にしっとり咲く紫陽花は情緒があって、なんだか心まで晴れやかにしてくれる気がするというのに。この調子だと、どこまで季節の花が早まるのか心配であり、とても残念な気がしてならない。(2002.05.21)

懐かしさだけじゃない。
谷内六郎さんの作品をいっぱい見てきた。それは、いつか、どこかで出会ったことのある懐かしい風景の数々。谷内六郎さんといえば、やはり『週刊新潮』の表紙、あの幼い女の子の声で「週刊新潮は明日発売です」と、かつてテレビCMが流れていたのを思い出す人も多いのではないだろうか。詩的でメルヘンチックな画風で知られる画家・谷内六郎さんの画業をふりかえる「生誕80年記念 絵の詩人 谷内六郎の世界展」が大丸ミュージアムKYOTOで開催されている。1921年、東京で9人兄弟の六男として生まれた彼は、幼少の頃から絵を描くことが大好きで、漫画やカットを描いては雑誌社に投稿し、何度も入選していたそうだ。『週刊新潮』の創刊と同時に表紙絵を25年間担当し、日本人の心を魅了し続けた人だ。「乳色の夜明け、どろどろどろりん海鳴りは低音、鶏はソプラノ。雨戸のふし穴がレンズとなって丸い土蔵が逆さにうつる幻灯」。いいでしょ。幼い日の夢やふるさとを詩情豊かに描き、独自の奥深い叙情詩的な世界を醸しだす作品は、私たち日本人が忘れていたものを思い起こさせ、心にやすらぎを与えてくれる。豊かな想像力、発想力、繊細な心、表現力…どこをとっても凄いと感心してしまった。さすが偉大なる画家・谷内六郎さんに感謝。
(2002.05.20)

「御室流いけばな展」
友人の中嶋皐月さんから案内をもらっていたので、仁和寺殿舎で開催される第86回御室流華道全国挿花大会「御室流いけばな展」(19〜20日)に出掛けた。生け花のことはあまり知らないが、毎回、みごとな作品を見るだけでその美しさ、魅力が堪能できるのがうれしい。しかも、世界遺産にも選ばれている仁和寺の境内だけに、そこへ身を置くだけでとても心地よい。今回は60年ぶりに訪れるという母親と娘を連れてお邪魔した。受付けで、杉本宗月先生(中嶋のお母さま)に挨拶をして、数々の生け花を見て歩いた。御室流ならではの素晴らしい生け花が次から次へと目に飛び込んでくる。さすが先生といわれる方の作品は、見るものの心を捉えて離さない。それだけ感動を覚えるものだ。また、廊下ひとつにしても足の裏から歴史が伝わり、なんだか身も心もシャキッと引き締まる。新緑に映える庭もみごとだった。母親は生け花はもちろん60年ぶりの仁和寺に歓び、娘は初めてのお茶席にも感激を覚えていた。小雨降る仁和寺もなかなか風情があっていいものだ。(2002.05.19)

怒りや苛立ちの感情。
「腹が立つ」「頭にくる」「ムカつく」そして「キレる」。我慢がならない、怒りや苛立ちを表わす言葉だが、できれば御免被りたいものだ。一般 的には、こういう状況になるのにはそれなりの原因というプロセスが存在する。だが、最近ではいきなり「ぷっつん」と切れてしまう、訳のわかんない人間が出てきて、凶悪犯罪を犯すからコワイ。しかもそれは、想定できないような場所で起こすからコワイ。昔なら安全大国ニッポンだったのに、突如どこで何が起きるかわからない国になってしまった。原因は何か。わからないが、社会や環境のせいにするのはよくない。では、何なのか。きょうの授業のテーマ「脳と心」で、自分の考えを発表する学生たちを見て考えさせられた。現代の人間社会って、エゴイズムのかたまり?そんなことはない、私のまわりを見渡しても心のやさしい人はいっぱいいる。コミュニケーションは言葉だけじゃないはず。相手の心が読めなくて、何かギクシャクするのは、相手の表情や、その背景にあるものを読み取ることができてないからだろう。落ち着け、立場を逆にして考えろ。生きていれば感情も走るだろうが、大声で怒鳴ったり、すぐに「キレる」ようでは人間失格。もっとも醜い行為である。それにしても難しい問題だけに思わず思考回路が「ぷっつん」しそう。(2002.05.17)

五月晴れが恋しい。
きょうも雨。もう日本全国、梅雨入りしたなのかなと思ってしまうほどの天気。2週間前ほど、奄美大島や沖縄は梅雨入りしたというが、やはり五月晴れを楽しんだ後にしてほしいものだ。お〜い青空、どこ行ったぁ?そういえば、JR西大路駅の近くの公園では、気のはやい紫陽花が雨に映えていた。雨といえば、お伴はお気に入りの傘。でも楽しむというより荷物になることの方が大きいか。でも、誰だって濡れたくないよね。この週末、いい天気になることを祈って、また明日。(2002.05.16)

小雨のなかの葵祭。
きょう5月15日は、新緑の京の都に絢爛なる王朝絵巻さながらの行列が繰り広げられる葵祭。京の三大祭りのトップを飾る葵の祭りは、戦中戦後の中断を経て、行列が復活して今年で50回目。個人的には授業の関係で、見に行けなかったが、葵祭の話を少し。この祭りは6世紀に天皇が北区の上賀茂神社、左京区の下鴨神社の両社の勅使を送って、五穀豊穰を祈ったのが始まりとされる。かつては旧暦4月中の酉の日におこなわれたが、明治17年からこの日となったらしい。葵祭りと呼ばれるのは、社殿の御簾や祭員の衣冠、牛車などを葵で装うためで、賀茂祭ともいわれている。牛車を中心に平安調の絢爛たる服装調度の行列が京の通 りを練り歩く。賀茂の家々でも、門ごとに葵を挿し、衣類や髪にも葵を結び、祭りを彩 る。だが残念なことに、本日の雨で午後からの巡行は下鴨神社で打ち切られ、賀茂神社で「社頭の儀」のみがおこなわれた。(2002.05.15)

ボランティアって?
今日、あるところでボランティアの講演を聴いた。いい話だったが、でも少し長すぎた感じがして後半は眠気に襲われてしまった。失礼。ボランティアは日本でも阪神大震災の時からよく使われるなった言葉だが、けっこう間違った使われ方も多いのではないだろうか。「ボランティア」というのは、職業としてではなく、無償で、文化や教育、福祉などの社会活動に自ら進んで参加する人たちのこと。辞書で引くと、英語でvolunteerと書くが、語源ほラテン語の「自由意志」という意味のvoluntas(ボルンタス)。もともとvolunteerというのは、第一次世界大戦のころ「志願兵」をさしたものだったが、その後、自主的に福祉などの社会活動をする人のことをいうように。日本では、むかし篤志家、民間有志奉仕者などと訳され、この活動が広がるにつれて国際的な呼び名「ポランティア」をそのまま使うようになったと文献にある。現在、日本でも、身障者や老人介護、点訳、老人や身障者の作った物を売るバザー、レクリエーション、文化の保護など広い範囲にわたってボランティア活動がおこなわれている。よりよく生きるため、肩ひじ張らずに、「してあげる」でも「してもらう」でもなく、お互いにできることをしようというボランティア精神。世界中の人間一人ひとりが、自分のことばかり考えずに、もっともっと他人を思いやる気持ち、優しさがあれば、平和で住みよい豊かな地球になるはずだ。ボランティア活動、それは自分にとって一体何ができるのかと問いただすことから始まるのではないだろうか。(2002.05.10)

たった2%の脳。
この宇宙でもっとも神秘的なものといわれる脳の構造について、先日ある病院の医院長に話を聞く機会があった。私たち人間の脳は、まず大脳と小脳に分かれ、大脳は精神の働きをつかさどる部分、小脳は平衡感覚をつかさどる部分。このふたつをくらべてみますと、小脳の重さは脳全体の11%ぐらいらしい。面 白いのは、皮膚が溶け込んで脳と神経ができたそうだ。しかも、人間が使っているのは全体のたった2%というから驚く。あとの98%は予備的存在というから凄い。一生懸命アタマを使っていると思っていても、実際は ほんのわずかしか使ってないのだ。よく頭のよしあしは、脳みそのシワの多さによるといわれるがあれはウソ。人間の脳というのは、広さにすると2250平方センチ、つまり新聞片面 の広さ。これだけの広さのものが、狭い頭蓋骨の中に入っているのだから、たたんでしまうしかない。だから、その折り目の部分をシワと呼んだもの。人間の脳の表面 積の三分の二は、このシワの溝の中に隠れていて、外からは見えないのです。シワについていえることは、脳を広げたときの表面 積と、脳を入れる器の大きさの関係が、シワの数を決めるということだけなのだ。脳全体の重さはというと、男の人が1450グラムぐらい、女の人がちょっと小ぶりで1300グラムぐらい。それでは、女の人の方がその分、頭が悪いのかというと、決してそんなことはない。重さと、頭のいい悪いは全く別 の問題。だが、そんなに重いものを頭にのせていたら肩が凝って困るのではと指摘されそうだが、そんなことはない。脳は、外側から硬膜・クモ膜・軟膜という順に三重の膜で保護されているが、そのクモ膜と軟膜の間に、髄液がおよそコップ一杯分入っており、2本の足で直立して歩くことによって、脳はほば垂直位 になった脊柱に支えられ、実際の脳の重さを感じることはないそうだ。ところで、この神経細胞のからみあいが、どのくらいでできるかというと、生後3ヵ月になると、かなりたくさんできてくる。3ヵ月の赤ちゃんなんておっばい飲んで寝て泣いているだけじゃないかと思うかもしれないが、決してそうではない。15ヵ月ともなるともっと複雑になっており、3歳〜4歳ごろには基本的なネットワークが完成するといわれる。幼児期の環境が大切だといわれるのもこのためだ。脳の神経細胞も、年をとるにつれて壊れてくる。再生がきかなく、減っていく一方。だいたい40歳を過ぎるあたりから、1日20万個ずつなくなっていき、1年間で7300万個ぐらいの割合とか。神経細胞が計算上ゼロになってしまうのは230歳、ま、そこまでは生きられないか。 (2002.05.07)

WYSIWYG(ウィジー・ウィグ)
久しぶりにライブハウスへ足を運んだ。急になぜといわれそうだが、友だち(嶋村よし江さん)から誘ってもらったからである。遅刻して入った会場は、まるで身体全体で感じてくれといわんばかりに、パンチを利かせたサウンドが鳴り響いていた。席に着くなり、ドリンクと料理一品のオーダー。ようやく落ち着き、「WYSIWYG(ウィジー・ウィグ)」の演奏に聴き入る。まわりの先客たちは身体を大きく揺らし、すっかりリズムにのっている。Live Spot RAGの解説文(平田氏)を借りてこのバンドを紹介すると“「フラジャイル」やソロで日本人離れしたギターを奏でる矢堀孝一、「プリズム」サウンドを担うキーボードの新澤健一郎と、ベースの岡田治郎、Junky Funk」で超絶リズムを刻むドラムの嶋村一徳。J-Fusionの最先端をひた走る彼ら(日本むかしばなし等お茶の間の名曲をジャズにアレンジした大ヒット「TV-JAZZ」の中心メンバー)が結成した「ウィジー・ウィグ」が5年ぶりとなる待望の2nd Album「Reflector」をリリース。複雑なリズムトリックを配しアグレッシブにせめぎ合うかと思えば、限りなく優しく叙情的に歌い上げる。七変化する曲を彼らならではのハイレベルな演奏で仕上げた、玉 手箱的作品となった。この新作をひっさげての初のツアー、ステージ上のファンタジスタたちのスーパープレイに酔いしれよう”その名のとおり、ギターも、ベースも、キーボードも、左利きのドラマーも、みんな凄かった。次々と演奏される激しいリズムと澄んだサウンドが、とても心地よかった。若き時代に酔いしれた快感サウンドを思い出した。いや、それ以上に凄い、刺激あふれるパワーサウンド、完成度の高い美しいメロディ。最後の最後まで感激した。いいライブだった。あ、まだハートが興奮している。(2002.05.07)

充電完了。
本日でGWも終わり、また明日から平常どおりの日々。この休みもいつものとおり、計画していたうちの半分、いや3分の1程度しか目的は達成できなかったが充電できた感じがする。やはり昨日、我が田舎・八木へ戻り、新緑まぶしい山を少し歩いて汗を流したからだろう。自然のなかに身を置くと、心地よさを感じるのは季節のせいもあるが、まわりの木々や草木、花、鳥、土、石、風、水、太陽など、大自然の力は偉大である。夕方の犬の散歩も結構楽しかった。今日は朝からのんびり、昼から雑用でショッピング、夕方から仕事(ポスター撮り)のため、スタッフとともに現場へ向かい、結局深夜の帰宅となってしまった。明日は朝一から藤森にある大学で授業。昼からは大阪へと、また忙しくなりそうだ。さて、五月晴れの下で頑張るか。(2002.05.06)

明日は端午の節句。
五月五日は、子供の日。端午(たんご)はもともと端の午、つまり毎月の最初の午の日をいった。ところが午と五が同音であることから「端五」と書いたり、三月三日が上巳の日として節句になっていったのに呼応し、同じ数字が重なる日ということ五月五日を「端午の節句」と呼ぶようになった。というのは、中国から伝わった五節句一一一人日(じんじつ、正月七日)、上巳(じょうし・「雛(ひな)の節句、三月三日)、端午(たんご、五月五日)、七夕(しちせき、七月七日)、重陽(ちょうよう、九月九日)の祝いのひとつ。三月三日の女子の節句に対して、五月五日の「端午の節句」は男子を祝うものとされている。
わが国では、戦後になってからこの端午の節句の五月五日を「子供の日」と〉制定し、国民の祝日としている。 ところで、子供の日には、五月晴れの大空に鯉(こい)のぼりがゆうゆうと泳いでいる風景が見られる。昔から長男が生まれると、それを祝って鯉のぼりを立てたものだ。これは、昔、中国の楚(そ)の人、屈原がざん言にあって、泪羅(べきら)の淵に身を投げて死んでしまったため、楚の人が屈原を哀れに思い、紙の鯉をつくって祀ったことに始まると伝えられている。
わが国では室町時代に、長い布を半月形にたわめた竹に張って、これをさおにつけ、ちょうど戦いのときののぼりのようにした吹き流しを、武士の家だけが立てていた。徳川時代に入ると、武士だけでなく町家でも、この吹き流しにならって、紙でつくった鯉を竿頭に上げるようになり、これを「五月鯉」と呼ぶようになった。 「鯉の滝のぼり」という故事でもよく知られるように、鯉は威勢のいい、縁起物として、男子の立身出世を願って立てられたものだ。 ちなみに、五月五日には綜(ちまき)や柏餅(かしわもち)を食べる習わしがあるが、これも屈原の故事によるよもの。それは、屈原のお姉さんが弟の死を弔うために、五月五日になると餅をつくって泪羅に投げ入れ、きゆう竜を祀ったことから始まったといわれている。また、このほかに邪気をほらうために菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を軒先に差したり、菖蒲湯に入ったりするが、これは「男子たるもの武を尚(たっと)ぶべし」といったことから、「尚武」と「菖蒲」をかけたものといわれている。ではでは、みなさん童心に帰って五月五日を楽しんでみましょうか。(2002.05.04)

大原神社鎮座千百五十年大祭
朝5時30分、ここ善長寺町を出発。5台のクルマに保存会役員のメンバーと佛教大学の学生たちを乗せて、天田郡三和町大原へ向かった。みんな眠い目をこすりながら、三和町大原神社鎮座千百五十年大祭盛り上げるため、前日から用意した大型トラックとともに新緑がまぶしい丹波路を走った。GW後半の始まりということも重なって、高速道路にも少し影響は出ていたが早朝のため、現地入りには充分間にあった。三和町に近づくと、若葉とともに映える山に紫色の山藤が歓迎してくれているかのように満開だった。8時半過ぎに鉾の組み立てを終えた頃、壬生の囃子方(棒振り囃子)も到着。大祭にふさわしい五月晴れの下、境内には屋台が立ち並び、地元や京阪神から多くの参拝客を迎え、たっぷりお祭りを楽しんでいた。なかでも、綾傘鉾の前で棒振り囃子を披露。笛や太鼓に合わせて踊る勇壮な姿に大きな拍手が沸いた。約300年前からの大原神社のご縁で50年に一度という大祭に参加できた喜びと、新しい交流の始まりを強く感じた一日だった。おかげで、よく陽に焼けた顔になってしまった。(2002.05.03)

夏も近づく八十八夜。
きょうは八十八夜。立春から数えて八十八日めの日のことだが、茶摘みのうた「夏も近づく八十八夜…」の歌を思い出す人も多いだろう。茶摘みの最盛期である。土があたたかいことを条件とするために花々のなかでも最も遅い朝顔の種まき時とされている。では、なぜ八十八夜が重要視されるのかというと、この夜の前後は、移動性高気圧が通 過して夜間、急に気温が下がり、特に山沿いの農地ではひどい霜の被害をうけることがあるからだそうだ。しかし、八十八夜の後はもう霜が降りることがないので、この霜を晩霜もしくは八十八夜の別 れの霜と呼び、農事上重要なふしめと考えられてきた。その後で種を蒔けば、被害を受けずに作物を育てられるからである。昔の人はちゃんと暦の上で、自然を読んでいたことに感心されられる。(2002.05.02)

五月晴れ。
今日から五月の始まり。気候も軽快で「五月晴れ」という言葉があるが、残念ながら本日は雨。でも、もともとは旧暦の五月の「さみだれ(五月雨、梅雨)」のあいまの晴れのことを五月晴れといっていたが、新暦となった昭和の初期の頃から使われるようになったそうだ。軽やかな南風にそよぐ青葉若葉が、陽光にきらきらと映え、青い嵐のように感じられる月だ。五月の異称には、皐月、早月、午月、橘月、梅月、雨月、授雲月、月不見月、早苗月、多草月、鶉月、梅夏、薫風、啓明など、意味のわかりやすいものが多い。この月の始めの午の日、すなわち端午を、邪気を払い暑さの中の健康を維持しようと、節日に決め、端午の節句としたと講談社の本に記されている。さらに、元来は早乙女のための節句だったが男の節句に変わり、菖蒲湯に入ったり、粽や柏餅を食べ、その香気で邪鬼を払えると信じられていたそうだ。詳しくは5日のページで。あ、そうそう。今月は、一年中で花と緑がいちばん美しい季節。薔薇や牡丹、鉄線の花、卯の花などが華やかに咲き匂う月でもある。(2002.05.01)