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仏光寺の紅枝垂桜(2002.003.29撮影)


南国土佐の太陽の恵みをいっぱい受けて、
真っ赤に熟成した高糖度のフルーツトマト。


咲いた、並んだ、赤と白のチューリップ。
眺めているだけで、心がうきうきする花だ。
(撮影2002.03.26 高知蒔絵台にて)


奉納演奏する阿倍野逢世撮影2002.03.24)


白木蓮の花(撮影 2002.03.17)


鮮やかな黄色、菜の花。(撮影 2002.03.14)


坪庭でのハープ演奏 (撮影 2002.03.12)


お雛さま(近又) (撮影 2002.03.01)

 

 

  

 

 

 

心のことばの詩人。
大丸ミュージアムKYOTO・大丸京都店6階で開催されている「書の詩人 相田みつを展」を観てきた。相田みつを美術館開館5周年、没後10年を記念しての展覧会だそうだ。名前や作品は、以前からあちらこちらで目にするようになっていたが、彼の書を間近に観覧するのは初めてだった。気取らないごく自然な、温かい人間味、慈愛を秘めた「書」と「ことば」は生きている歓びと感動を与えてくれる。身近な平易な言葉を力強い書で綴り、独白の境地を築いたみつをの作品から、元気をもらったという人も多いだろう。観る者の心の底にまっすぐに届く彼の作品は、没後も、暗い影を落とす現代社会に、ますます輝きを放って生き続けている。夢はでっかく、根はふかく。4月2日まで。(2002.03.30)

ある日自分へ (1970)
おまえさんは いま一体何が 一番欲しい
あれもこれもじゃ だめだよ
いのちがけで ほしいものを
ただ一ツに的を 絞って 言ってみな

本の字 (1980)
本人本当本物 本心本気本音  本番本腰 本覚本願
本の字のつくものはいい
本の字でゆこう  いつでもどこでも 何をやるにも

花曇り。
京の町も、桜が咲き誇って春本番を感じさせてくれる。朝の出勤時、公園や川沿いの桜を見ると、ことしも咲く季節になったかと、安心とともに嬉しくなってくる。そのい反面 、曇り空や春雨、風といった天候によって散ることに心が痛む。花吹雪、川に落ちて花筏となるのもよしだが、いつまでも咲き続けていて欲しいと願うのは私だけではないだろう。桜の美しさに魅かれて、近くの仏光寺に足を運んだ。紅枝垂は5分咲きだったが、ソメイヨシノは満開。、昼休み時間を利用してOLや、近所の家族連れが花見を楽しんでいた。今年から京都市は財政難のため、桜のライトアップを中止するとしていたが、京都商工会議所や京都仏教会が祇園巽橋の桜並木のライトアップを引き継いでくれた。木屋町の高瀬川沿いは地元の商店街が中心となって、夜桜を照してくれているのが嬉しい。幻想的に浮かび上る満開の桜を愛でながら、花盛りの京の春を楽しむ。昼間とはまた違う、光に浮かぶ美しさが実に心地いいものだ。(2002.003.29)

別格フルーツトマト。
大きさはピンポン玉ほどで、とびっきり甘く、適度に酸味もあるフルーツトマト。それは三年前、高知に寄せてもらった時、はじめて知った徳谷トマト。といっても、徳谷トマトという品種はない。それは地名だが、実際の栽培は高知市布師田あたりと聞く。品種としては、サンロック、マイロック、桃太郎ファースト、ヨーク、ろくさんまる、ルネッサンスなど。美味しさの秘密は、塩分を含んだ田んぼの土と、水を絞って木の勢いを抑え、栄養が実に集中していくように育てる独自の栽培法にある。実が付いてから収穫まで90日くらいかかるそうだ。南国土佐の太陽の恵みをいっぱい受けて、真っ赤に輝く。ガブッとかぶりつくと、締まった果 肉の間から濃厚なジュースが飛び出す。糖度はおよそ10度、口のなかに広がる甘さとほどよい酸味、コク、気高い香り。小さい時、食べたトマトの味がした。いや、それ以上にはじける甘さ、濃厚な味わい。まさしく別 格のトマトだ。値段は高いが、それは生産者が愛情たっぷりかけて育てた苦労賃だから仕方ない。味わえるのは5月いっぱいまで。(2002.03.26)

和歌を謳う阿武野逢世。
「♪東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘れるな 菅原道真」「♪さくら花ちりぬ る風のなごりには 水なきそらに波ぞ立ちける 紀貫之」「♪祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色… 平家物語」「学問の神さん」「北野の天神さん」で親しまれている北野天満宮では、いま千百年大祭が開かれている。今年が菅原道真公ご昇神より千百年にあたり、本殿や社殿の修復などがおこなわれてきた。3月6日から始まった古来の芸能の奉納から、若い人たちにも天神さんにより親しんでもらおうとコンサートまで、さまざまなジャンルで奉納がおこなわれている。本日は、我らの阿武野逢世(本名福井秀彦)くんの奉納演奏がおこなわれた。生田流箏演奏家の福原佐和子さん、キーボード奏者の鴨乃よし江さん、舞踊家の田中裕子さんも加わり、本殿に前に設けられた特設舞台から、まるでタイムスリップしたかのような衣裳に身を包んだ阿武野逢世くんがギターで和歌を独特の調べにのせて歌い上げた。あいにくの小雨模様だったが、演奏を聞き入る参拝者たちから熱い視線と喝采を浴びていた。気がつけば、雨が止んでいた。奉納演奏のおかげかな。(2002.03.24)

シンポジウム「産屋トーク」
仕事場がある善長寺町は、綾傘鉾の鉾町。この町内には大原神社がある。今からおよそ三百年前、この神社で天田郡三和町にある大原神社(おおばらじんじゃ)のおふだが売られていた。つまり本社の出張所だったのである。文献によると、この神社を拠点に市内をはじめ、山城や宇治方面 など幅広く販売されていたそうだ。だが、相互の間で金銭のトラブルがあり、その後、疎遠になつていた。それが、ある縁で2年前より再び交流が始まった。その三和町の大原神社が今年のゴールデンウィークの5月3日、千百五十周年を迎える。そこで親交を深めるために、私たちの綾傘鉾と棒振りばやしを三和町で披露することになっている。 前置きが長くなったが、その大原神社できょう「第4回 産屋トーク」が開催された。「祭の意義と地域振興」がテーマで、講演者の一人として出掛けてきた。まず最初に、元京都市歴史資料館館長・山路興三氏が「祇園祭を支えた町衆」と題し、祇園祭の歴史や山鉾について基調講演。続いて、約二百年の歴史をもつ大原練込みについて元保存会の吉見正巳氏が活動報告と苦労話を、そして私が綾傘鉾の話(詳しくはこのHP綾傘鉾のコ-ナーへ)、最後にコーディネイターの八木透氏(佛教大学教授)が、「祭はひとりではできない。祭りはみんなでつくりあげるもの」「祭は心から楽しむもの。心から喜ぶことが基本」「祭礼は疲れを忘れさせてくれるもの。人材や財源など、いろんな面 での苦労や課題はあるけれど、それだけに喜びも大きいはず。伝承する意義を大切に、みんなで一生懸命つくりあげていきましょう」とまとめた。それにしても、途中でいただいた甘酒、美味しかったな。(2002.03.23)

どこも花盛り。
「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」在原業平が詠んだように、春になると桜前線に踊らされる。日本人は、今も昔も変わらず桜好きで知られる。東京ではもう満開で、桜の名所では多くの花見で賑わっているとニュースでいっていた。今日は学校の関係で、京都市内からほんの少し離れたところにある長岡京へ行ってきた。阪急電車で走ればすぐそこだ。その道中、車窓から眺める風景に桜が飛び込んできた。例年なら、桜のつぼみもほころびはじめる頃だが、今年は開花が全国的にはやい。その原因は記録的な暖冬に加えて、桜の花芽の成長に直接関係する1、2月の気温が高かったからといわれている。昨日の毎日新聞・余録に「春はためらいながらやって来るものと思っていたが、ことしの春は闘牛のように鼻息荒く突進して来た」と表現されていた。まさしくその通 りだ。桜を眺めながら、春を満喫する。お酒もいいが、桜餅を食べながら、舌で愛でる春もいいなぁ。ことしも春の訪れを祝いたい。(2002.03.22)

春雨は菜種梅雨
雨今日は春のお彼岸。先祖の墓参りにも行けず、朝はやくから高知へと飛んだ。もちろん仕事である。家を出る時は春らしい天候だったが、離陸してしばらくすると機体が揺れはじめた。気流に突入したからだ。おかげで、着陸後、出迎えてくれたのはクライアントの西田さんと雨だった。せっかくCMの下見ロケに来たというのに、あいにくの天気で少し暗かった。借りた傘をさし、次々と候補地をまわり、絵コンテとにらめっこ。さらにプランを出し、新しい展開も練った。昼が過ぎ、遅い目の昼食をとって再び現地へ。気がつくといつの間にか雨もやみ、空が明るくなっていた。まわりの山々はうっすらと白い絵の具を落としたように山桜が満開を迎えていた。夕方の便で帰ってきた。問題は来週早々の天気だ。桜じゃないが、雨に泣くか太陽と笑うかである。どうか菜種梅雨よ降らないでくれといのるだけである。(2002.03.21)

神聖な輝き、白木蓮の花。
ポカポカの陽気、すっかり春だ。京都御所では、もう紅枝垂桜が七分咲きだという記事が、昨日の京都新聞夕刊に載っていた。今朝の日経新聞の春秋によると、東京でも皇居のソメイヨシノがちらほら開花し、旧外務省の桜はもう満開の花をつけているそうだ。結局、京都市内でもこの冬は雪景色を見ないまま桜の季節を迎えてしまった。雪が見たかったなぁ。なんだか駆け足でやってきた節目の春は、せっかちで気ぜわしい感じがする。というのは、毎年、この季節に楽しみにしている花がある。辛夷もいいが、樹冠一面 に白い花を咲かせる白木蓮(ハクモクレン)が好きだ。花弁が九枚で、葉より早く開花し、枝先に上向きに咲く。満開の時より、開き始めた頃がいちばん美しい。清楚なまぶしさが春の訪れを感じさせてくれる。例年なら、まだ寒い日の中で眺める白木蓮、青空に高く舞う白い花に神聖な輝きを強く感じていた。といいながら、今朝、北白川の民家に咲く白木蓮を見て、今年も胸を躍らせていた。花ことばは「自然への愛、荘厳、恩恵」。まさに見ていて心が洗われる色と形の花だ。(2002.03.17)

祝合格、15歳の春。
やったね。おめでとう!春がやって来たね。夢と希望に胸弾む季節の訪れ。合格発表の場を覗きにいったら、友達同士や親子で見に来て抱き合う人、一人で見に来てガックリと肩を落とす人など、そこには受験生の運命を左右する受験番号が並んでいる。それを見つめる人を緊張させたり、喜ばせたり、悲しませたりする数字はないのではないか。そういえば、最近では掲示板による合格発表をやめ、電話による問い合わせや大学のホームページ、電子郵便による発表だけにしている学校も増えていると新聞やテレビでいっていた。春の風物詩が見られなくなり、やはり寂しい感じがする。やはり、学校での掲示は残して欲しいと個人的には思う。「サクラ サク」なんて電報はもう伝説になってしまうのかな。(2002.03.16)

美しき卒業式。
昨夜から激しく降り続いた雨も止み、今朝は卒業式を迎えるにはちょうどよい天気となった。誰のといわれれば、我が家では子供が、そして大学でも教え子の卒業式である。心配していた雨は午後1時半頃、稲光りと雷を伴って降り始めた。春一番なのか、まるで新しい旅立ちを祝っているように思えた。子供の卒業式は母親に任せた(父親はあまり歓迎されないみたい)そこで帰ってから話を聞くと、かなり涙を流す生徒が多かったという。校歌斉唱、螢の光、先生にとっても、生徒一人ひとりの思い出がよみがえり、胸を、目頭を熱くさせたことだろう。喜びと寂しさといった複雑な心境、泣くという行為。そんな感受性の強い子供たちの姿があることを知って、なんだかとても幸せな気持ちになれた。この日、ニュースによると京都市内の中学ではおよそ1万2千人が学舎を巣立ったそうだ。 大学の方は夜の謝恩会だけに顔を出した。毎年、ホテルの大会場で学生たちが運営するかたちをとっている。振り袖や羽織り袴姿もいれば、大人っぽいカクテルドレスや、ピシッとスーツ姿で決めている学生など、ハレの衣裳に身を包んでいる。みんな輝いている。学長のあいさつ、先生からの贈ることば、卒業生からのメッセージと花束、ゲームなど、料理とお酒も入って会場は熱気に包まれていた。学生があちこちで記念写 真のフラッシュがひかる。すべて思い出のアルバムにと、先生を囲んではカャ、ピカッ!みんないい顔になっていた。おめでとう!(2002.03.15)

何の花、菜の花。
昼休み菜の花を見て、春の花だなぁと、思わず花屋さんで買ってしまった。だいぶ前に、上京の堀川通 あたりに菜の花が咲いているという記事が地元、京都新聞に載っていた。見に行きたいなぁと思ってはいたがなかなか実行できずにいたら、花屋さんでご対面 。なんか嬉しかった。季節的には少し早いかも知れないが、桜の咲く頃となれば、かつては見渡す限り黄色い花で埋め尽くす田園風景がひろがったものだ。最近では、郊外へ出掛けてもなかなかお目にかかれない。そんな菜の花畑といえば、あの小学唱歌「朧月夜」(高野辰之作詞)を思い出す人も多いだろう。名の由来は、そのまんま、菜類の花の総称といわれる。むかしは菜種(ナタネ)といって、この種から油を採るために栽培する農家が多かった。だからアブラナとも呼ばれている。花弁は4枚、鮮やかな黄色が印象的だ。花ことばは「つつましい」、実にそう感じる。また、お浸しや漬物などとして、食卓に春を運んでくれるのも嬉しい。(2002.03.14)

坪庭でハープ演奏!
京の町家には、建物と建物に囲まれた中庭、つまり坪庭がある。古くは「壺」という字が使われていた坪庭には、光と風を取り入れ、和みの空間としての役割がある。そういった住居の機能性とともに、小さいながらも鑑賞できる庭という重要な要素をもつ。それは日本の風土のなかで培われた日本の心であり、日本人のさりげない美意識の存在。眺めているだけで和み、癒され、風情を感じさせてくれる。なかでも京の坪庭には、独特の情緒が漂う。
そんな素敵なロケーションで、本日、ハープコンサートがおこなわれた。場所は、繁華街の四条通 から御幸町通を北へ上がった京懐石「近又」。まわりには河原町や新京極、寺町京極、京の台所と呼ばれる錦市場など、常に人々で賑わうところ。だが、玄関をくぐると外の喧騒とは別 の世界と思わせるほどの静寂さが心地よく迎えてくれる。 そこで、最近CDやコンサートなどで注目されている若手ハープ奏者・内田奈織さんの演奏がおこなわれた。午前11時、 ヘンデル作曲「ハープ協奏曲」から始まり、シネマ音楽、童謡などレパートリの広い曲目で、聴衆者の心に春を運んでいった。生まれて初めて眼ににする本物のハープに驚き、音に酔いしれ、演奏に感動を覚える。さらに、まぶしい彼女の笑顔と語らいで、とても素敵な演奏会となっていった。京の町家ならでは、しかも昼間にしか味わえない、贅沢な時間が、美しい旋律と共に、ゆっくりと、やさしく流れていった。(2002.03.12)

早春の古都を駆ける。
走るのが好きな人がいる。まるで何かにとりつかれたかのように、ひたすら走る。時間があれば、いや時間をつくってでも走るのである。何のためにといえば、ただ走りたいから、少しでもはやく走りたいから、時間などあまり気にせずマイペースで走ることを楽しみたいから、健康のために…など、その目的は人さまざまだろう。その醍醐味は、実際に走っている人にしかわからない。汗が光る。そんな人たちが、全国から京都に集まって走る「京都シティハーフマラソン大会」が今朝おこなわれた。海外からの招待選手も含め、約6千名の選手が参加した。年々、参加申し込みが殺到し、なかなか参加しにくいらしい。私たちは朝8時に地下鉄「鞍馬口駅」に集合し、紫明通 が鴨川に突き当たるあたり、第二関門で手伝いながら、一生懸命に走るランナーたちに声援を送った。9時20分頃、遠くにトップが見え始めた。先頭集団はとにかくはやい。走りが軽やかだ。リズム、歩幅、表情が違う。次々と走者たちが眼の前を通 り過ぎて行く。そして9時35分になると、コースが鴨川沿いの歩道へと変わる。北大路通 の交通規制が切れるためである。走者のなかに友だちの顔も見えた。笑顔がまぶしい。「がんばれ!」。手前でリタイアする姿も眼に映る。そして45分頃、大集団が現われ、人の大渋滞が起きる。とても危ない個所である。走っている人にとってはペースが狂うから、さらにシンドイだろうな。でも、ことしも怪我人も出ず、無事に終わってよかったよかった。みなさん凄いわ。私なんかには絶対できない話である。かって、ある大会で10kmを2年連続で走ったことがあるが、とにかくシンドかった。なんとか時間制限には間に合ったが、ふだん運動をしていない人間が急に走るものではないと、つくづく思った。どうも私には走るという行為は向いてないみたい。(2002.03.10)

ラジオ生番組。
昼間、ラジオの生番組の現場にいた。パーソナリティは滝トールさんと倉森ひとみさん。KBS京都ラジオ「ベストヒット歌謡曲」(AM放送1143KHz 毎週土曜の正午〜)のスタジオである。いつも感心させられるのが、話しネタも豊富で新鮮、テンポよく、0.05秒すらムダにしない滝さん話し方。さすがプロだ。どこで沢山の芸能ネタを入手しているのかと聴くたびに思わせる。あちこちの放送局と売れっ子だけに、どうしてテレビ番組やラジオ番組、コンサートなどをチェックしているのか。ずっと不思議に思っていた。滝さんとは十数年前にテレビでお世話になった。その時に知ったのは、一冊の大学ノートだった。深夜に帰宅しても録画したビデオを早送りしてチェック、移動中もエアーチェック、眼では新聞や週刊誌などでネタ探し。寝る間も惜しんで、それぞれを書き込んでいるのである。ベテランといわれようが、いくつになっても努力を惜しまない才能の持ち主だ。だからこそ、いつまでも人気あるタレントなのである。(2002.03.09)

気分はフレンチトマト。
昨夜、仕事の帰りに立ち寄った店の話。中京郵便局のすぐ近くにある「フレンチトマト」は、サラダと洋食の店で昼も夜も賑わっている。マスターの小林さんに、食べたい者をリクエストすれば、ほとんど作ってもらえるありがたいお店。疲れている時なんかはガーリック多めの料理が、一気にからだをパワーアップ。旨い。さらに小林ご夫妻の笑顔と会話で、こころも明るく元気いっぱいになれる店だ。国産の鮮度あふれる素材しか使わない料理の数々、お肉やお魚も最高に美味。なかでもトマトへのこだわりは凄い。ドレッシングもすべて自家製のサラダは絶対おすすめ。シーフードもステーキも、スパゲティも、なんでも食べたいものが食べられるところといったら、マスター困るかな?食後には自家製のアイスクリームもおすすめ。お酒も少しまわって気分最高!なにもかも満足させてくれる、お気に入りの店だ。マスターの料理に対する情熱と才能、アレンジ力にはいつも脱帽させられる。さすがプロの料理人である。
*フレンチトマト Tel.075-252-223 中京区三条通東洞院東入ル 水曜日はお休み。(2002.03.07)

きょう啓蟄。
ようやく大地もあたたまり、冬の間、地中にひそんでいた虫がはい出すといわれる啓蟄(けいち)。前夜来の激しい雨もようやく上がり、あたたかい朝を迎え、春を感じさせる。だが、我が家では、少し緊張の空気が混ざった朝だった。というのも、きょうは京都の公立高校の入試日。そう娘が試験に臨んだのだ。15歳の春が、我が家に一日もはやくやって来ることを期待したい。(2002.03.06)

わが町「善長寺町」。
私の仕事場となっている町は、寺などないのに町名が「善長寺町」となっている。以前からずっと不思議で仕方なかった。年輩者に聞いてもわからないという返事ばかりだった。そう思っていたら 3日の京都新聞に町名の由来という記事が載ったので、ここで紹介しておく。(以下、記事引用)
         ●         ●
町の由来「善長寺町」(京都市下京区)東西を室町通と新町通に区切られた綾小路通 両側の狭い鉾町の「善長寺町」に寺はない。小さな大原神社がマンションやビル、駐車場に囲まれて鎮座する新旧混在の風景である。「町内にお寺がないのに、どうして善長寺町なんですかね。もう綾傘鉾を名乗ってもよいのに…」と、町内会長寺田進さん(53)キモノ加工製造や綾傘鉾保存会次期会長の河野隆明さん(66)ら住民も首をひねる。 坊目誌などによれば、寺は確かにあった。現在、中京区新京極通東側町にある浄土宗善長寺(渡辺寛碩住職)が、それ。秀吉の命で天正19(1591)年に移転したが、渡辺住職宅且は「(移転前の)境内は広大で家康の京の定宿だった。それに山号も大原山善長寺ですよ」と話してくれた。元亀2(1571)年の御借米之記に「善長寺町」と記載、永正元(1504)年の創建から新京極移転時まで87年間存在した同寺と町名をつなぐ手掛かりだ。 綾傘鉾が祇園祭巡行に加わったのは昭和54(1979)年。復活には町内でいろいろと論議もあったが、保存会を中心 に町外の応援も得て、伝統文化を維持。「呉服店や豆腐屋、旅館などがあって、多いときは40軒ほどだったが、今ここに住んで町内会費を集めるのは9軒に…と製菓会社を営む河野さん。が最近、大原神社が京都府三和町の大原神社と深い結びつきが分かり、5月には綾傘鉾が同町の神社で披露される。寺田さんも「長老も少なくなり寂しいが、他地域との交流の輪が広がり嬉しい。神社内の町家を改造、住民が集まり巡行 の準備ができる施設にしたい」と、町の未来を見据える。(2002.03.05)

顔が命?!
今夜は懐かしい顔に出会えて、とても楽しかった。もう十数年前になると思うが、テレビ番組を一緒に創っていたメンバー。といっても、タレントさんやディレクターなど仲良し五人組が顔をあわす同窓会?久しぶりに素敵な時間が過ごせた。話す内容は、仕事や業界仲間のこと、家族、恋愛や結婚、10年後の自分のことなど実に多彩 。別れ際に、みんな良い年齢を重ねて、いい顔になろうと誓いあった。今度はいつかな?男も女も、その人の人生は顔に出るというのが結論だ。
顔が命といえば人形。そう明日は雛祭り。「♪あかりをつけましょ ぼんぼりに…お内裏様と…」と写 真のひな人形は、先日、近又で撮影したもの。歌は覚えていても、雛飾りのとなると並べる順序がわからなく結構困るものだ。右大臣、左大臣、右近の橘、佐近の桜があるのはご存知だと思うが、雛人形から見て並べるのか、それとも私たちから見ての右なのか、左なのか。これがハッキリしないと位 置がまったく逆になる。これは雛人形から見ての並べ方が正しい。だから雛段に向かって、右大臣と右近の橘は左側、左大臣と佐近の桜は右側に置くことになる。昔の人なら、こんなことくらいは常識で、誰もが心得ていたことだろうが、情けないかな現代人にとっては並べる順番さえ苦手なのだ。並べる順序や位 置にはそれぞれに意味があると思うが、ま、来年のためにも写真を撮っておくという手もあるか。そういえば我が家もながい間、飾ってないな。たまには出して飾ってあげないと人形さんに失礼だよね。ごめん。ごめん。(2002.03.02)

弥生、夢見月。
三月の声を聞けば、どことなく華やいだ明るさが訪れ、春の実感は日に日に深まっていく。光の春なのか。三月の異称は、代表的な弥生から始まり、桃月、花月、嘉月、桜月、禊月、花見月、夢見月、早花咲月、晩春などおよそ40余りもある。童謡で「さくら さくら やよいの空は…」とあるのは陰暦の三月の別名「弥生(いやおい)」が転訛したもの。「いやおい」とは「いよいよ生い茂ること」、すなわち草木が勢いよく成長し始める月の意。花月、桃月、桜月はそれらの花が咲く月から、禊月は雛のみそぎをすることからついた名前。夢見月は、ついうつらうつらと夢見がちになるという意味だ。名前だけをみていると、すっかり春を感じさせてくれる。でも京都では、奈良のお水取りが終わっても、彼岸が過ぎ、やはり比良八講荒れじまいといわれる突風が吹くと、ようやく鴨川の水もぬ るんで、京のまちは本格的な春を迎えることになる。それまでは三寒四温の繰り返し。寒い日が三日、その後に温かい日が四日間つづく現象だ。この弥生月を楽しみながら、春を待つことにしよう。
(2002.03.01)